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花輪村

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閉伊川南岸に拓けた肥沃な農作地帯

花輪村は東を磯鶏村、西を小国村、茂市村、北は閉伊川を隔てて千徳村に接する。面積は5255方里、戸数400、人口は男1638、女1526、枝村に、長沢、老木、田鎖、松山がある。(大正11年)
鎌倉時代初期、根城に築城し当地を支配したという閉伊頼基鎌倉幕府から閉伊と気仙を所領として賜ったとされ、当初気仙の地に赴いたが適地を得ず、上閉伊を移動しながら根城を含め花輪村を適地と定め築城したと伝えられる。しかし、戦国時代末期、南部氏が閉伊を統一してからは南部氏の所領になり、代官制度施行後は花輪村は宮古代官所直轄となり、松山は四戸氏、野田氏、田鎖は楢山氏、長沢は田鎖氏、桜庭氏、老木は田鎖氏、四戸氏等の各知行所として支配を受け明治維新に至る。

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