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磯鶏村

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高浜、金浜を含む波静かな宮古湾内の漁村

磯鶏村は北は宮古町、南は津軽石村、西は花輪村、東は宮古湾を隔てて対岸の重茂村と接するが、対岸の白浜地区は磯鶏村に属していた。面積は1233方里、戸数356、人口は男1308、女1334、枝村に高浜、金浜、八木沢、小山田がある。(大正11年)
磯鶏村は当初鎌倉時代初期、根城に築城し当地を支配したという閉伊頼基の所領だった。のち八木沢氏の治下となっていたが、戦国時代末期、南部氏が閉伊を統一してからは南部氏の所領になり、以来、磯鶏、八木沢、小山田は南部藩士桜庭氏の所領となり、高浜、金浜は船越氏の所領となった。その後まもなく高浜は*楢山氏の所領となり、元禄年間(1688~1704)には磯鶏は船越氏、楢山氏、*野田氏、刈屋氏の分領、八木沢は刈屋氏、花輪氏、野田氏の、小山田も野田氏の領地となり、金浜のみが御蔵地となったまま明治維新を迎えた。

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