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花輪小学校南川目分校

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南川目分校の歴史と沿革

宮古市街地から南西の方角へ約20キロ。民家24世帯が点在する山間の小さな地区の、長沢川を前にした閑静な場所にある。本校の花輪小学校とは約12キロ離れており、平成6年(1994)度の児童数は9人(7年度8人)3学級の複式で4人の教員がおり入学式、卒業式、運動会など大きな行事には、本校の花輪小学校に行って合同で活動していた。
南川目分校は、明治7年(1874)に創立した長沢小学校の分教場として同9年(1876)に創立したのが始まり。その後、長沢簡易小学校、長沢尋常小学校の分教場と改称され、明治35年(1902)に花輪、長沢両尋常小学校が併合、花輪尋常高等小学校となりその付属となった。本校である花輪小学校は昭和16年(1941)に花輪国民学校、22年(1947)に村立の花輪小学校と改称され、昭和30年(1955)に花輪村宮古市が合併し、宮古市立花輪小学校となり、現在に至っている。
この間の南川目分校の児童数の移り変わりは大正時代が40人から50人で、昭和16年(1941)には74人の在籍があった。50年代から児童数も減少して平成11年(1999)閉校した。また、花輪小学校南川目分校閉校に伴い花輪中学校神倉分校も同時に閉校となった。

関連事項

地図

https://goo.gl/maps/ztr7f

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