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判官稲荷神社

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義経北行伝説の舞台

宮古山常安寺参道脇から東側にある山は中世の頃黒田舘と呼ばれた山城があった。舘は閉伊氏の家臣近能左七良が居舘としていたが、後に左七良が区界の田代に移る際、養子の増坂良胤に舘を譲ったという。それから約300年後、黒田判官頼母(よりぼ)という人が黒田村を統治、ここに舘を築いていた場所である。時代は下って江戸期の安永4年(1776)に花坂与次衛門は山城稲荷本宮に稲荷神社を勧請し判官稲荷神社の縁起となった。
神社には宝物として平泉を密かに脱出した源義経一行がこの地に残したという緋おどしの鎧が所蔵されていたという伝説が残されているが、神社は創建の7年後に火災により焼失し創建記録、宝物などを失った。
社奥には「御室(おむろ)」と呼ばれる穴があり、その昔、ここに白狐が住んでいて供え物をするとその食べ方で吉凶を占えるというので大漁を祈願する漁師や、商家、料亭などの信仰を集めたという。縁日では神事の後、神子による湯立て託宣などが行われる。

地図

https://goo.gl/maps/uYnTM

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