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伊東祐治

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  • いとうすけはる【分類・小説家】
  • 大正~昭和:大正2年~昭和9年(1913~1934)

23歳で永眠した鍬ヶ崎出身の文学青年

僕の故郷では、土用の丑の日になると鰻飯や蒲焼などを食べ、また何処の銭湯でも薬湯をたてる習わしである……。という書き出しで始まる小説『葱の花と馬』は昭和9年(1934)中央口論文壇アンデパンダン第2回懸賞募集に入選し、同年の中央口論新年号に掲載された鍬ヶ崎上町の若き作家、伊東祐治の短編小説だ。しかしこの作品は懸賞応募入選として雑誌には掲載されたが単行化はされず、祐治の没後63年の昭和30年(1955)に、当時保久田にあった市立図書館内の「なぎさ会」が『葱の花と馬~伊東祐治その人と作品』として編纂、宮古市和見町盛合新聞店が作品と祐治を知る人々の思い出などを含めはじめて本として発行した。
伊東祐治は大正14年(1925)鍬ヶ崎小学校高等科を終了して昭和元年(1926)石巻中学校入学。同4年(1929)終了し、第一早稲田高等学院文科入学。一年足らずで中途退学、同人誌「新人」等で文学を勉強。昭和8年(1933)事情により宮古へ帰郷、地元の三陸新聞の記者として勤務する傍ら創作活動を続けた。
」 小説の舞台になっている鬼灯園という銭湯は現在も鍬ヶ崎日影町で営業を続けている不動園であり、文中に登場する主人公の「僕」は鍬ヶ崎上町に住む病弱な青年祐治その人であった。「僕」は上町から上の山へ続く坂を登り、現在の測候所から日影沢を下り不動園に通っていたと思われ文中では民家も少ない当時の日影町界隈の情景が叙情的に描かれている。
物語は土用が近いある日ふと目に入った銭湯の薬湯の広告にひかれた主人公が山合いの銭湯鬼灯園に通ううち、鬼灯園の雰囲気に魅かれてゆきながら、元網元で鬼灯園の経営者である保五郎、その娘、潤、別居中の妹の子、少女・房子らとの出会いと別れの人間模様を繊細な情景描写とともに淡々と綴っている。
なぎさ会が編纂した復刻本の中で故中村桂子さん(元宮古市会議員)は「小説中の潤のモデルは私と思う。従姉妹の房子は当時女中だった久子ではないか…」と原稿を寄せている。また祐治は当時鍬ヶ崎小学校の教師をしていた金矢克氏、小丸恒夫氏らと交友があり、その頃両氏が下宿していた熊野町の山根神官宅をよく訪ねており、自然に不動園に入浴し、その情景を作品として書き上げたものと思われる。しかし残念ながら祐治は、入選の知らせをうけた約半年後の昭和9年(1934)12月4日に23歳の若さで病死している。  

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