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2014/06 目標がないのが人生だね

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 「ワラスナーコロ/子供の頃」は罪がなくてよかった。時間は無限にあって将来なんてまったく見えてないから、気軽に「わたし○○くんのお嫁さんになる」などと言ったりする。だからおいしいケーキを食べるとあまりのおいしさに「オラァ/オレは」ケーキ屋になると宣言したり、陶芸のテレビを見て感動し陶芸家になるとのたまく。僕は人より「チョコット/ちょっと」ぐらい「エッコ/絵」が得意だったので内心漫画家になりたいと思っていた。しかし、子供とは言え歳を重ねてゆくと「ウンメー/おいしい」ものを食べたいがためにケーキ屋になることはできないことを知り、テレビ番組に影響されて陶芸家になれないことも知る。まして「エッコ」が描けるからって漫画家なんてなれるものではないことも悟る。ああ「ヤッパス/やはり」そうなんだ、結局は勉強してまじめに学校行かなきゃならないんだ。んじゃ到底自分には無理だ。だって勉強は「ヤッター/いやだ・嫌いだ」し学校もできたら行きたくない。ならば無理して目標とか決めなきゃないい、目標なんてもたない方が楽でいいや。目標「ダーリッテ/なんて」先生や親が喜ぶだけだもんな。あーあ「コバガクセェ/こ馬鹿くさい」といつも思っていた。このように小学生の頃から斜に構え、何かにつけてへ理屈ばかり言っていたからいつも先生に説教された。結果ではなく何かに向かう努力が大事なのだ、目標うんぬんではなくそこへ向かう課程こそが大事なのだ、判るか?と頭を叩かれ「フェエ~ィ/はーい」などと判ったふりをして返事をした。

 目標もないから高校入試の時期にはまいった。勉強は「ヤッターガラ/嫌だから」進学したくないのだが、さりとて自分が「カセギサイグ/就職する」という実感も湧かない。たった2クラスしかないけれど中には地元企業に就職したり、バスガイドになるという女の子、大工や左官見習い「オラーフネサノル/オレは船に乗る(船員になる)」という男子もいた。当時は中卒で集団就職する『金のたまご』的伝説はすでに過去のものであったが、兄や姉さんもそうだったから…と早々と大人の世界へ旅立つ就職組も多かった。自分には兄弟もいないし旅立ちの指針となる身近な従兄弟親戚もいなかった。そして何より目標がないからどんな仕事を「スッテーガ/就きたいか」など考えたこともなかった。それでも「ムジョコグ/無情に容赦なく」時間は流れ仕方なく市内の高校の入試試験の日となった。はっきり言って落ちてもいいと思っていたから勉強なんてしていなかった。その当時は受験のプレッシャーを紛らわすようにギターにハマっていたのであった。そしてなんとか合格した。なーんだ適当でも結構いけるじゃん、と思ったが僕にその高校へ「イグベッサ/行こうよ」と誘った友人が落ちた。やっぱ試験って非情だと思った。テストでいい点をとるためテストをやって、テストを受ける。そしてまたいい点を取るためテストをやる…。そしてこの結果だ。たまたま運が良かっただけだって言うなら、子供の頃からあれほどやってきたテストは何のため?と思ってしまうのだった。

 いざ、高校生となったが相変わらず勉強も学校も「ヤッター」し、目標もないからクラブ活動なんてまったく興味がわかない。同じ学校出身者の友人がサッカー部に入るというので「マネッコ/真似」して行って見たがすぐ辞めた。ブラブラしていたら上級生に目をつけられて何度も呼び出された。チリチリパーマをかけて私服で学校に来る3年生の大人振りには舌を巻いたが、ちょっとぐらい早く生まれたからと威圧的な2年生には反抗的だった。その調子だからことある事に「プタツケラレ/殴られ」る日々だった。男子クラスだったもので上級生が「ハッタリ/恒例威圧行為」に来ると毎回名指しで「ハダガレダ/叩かれた」。勉強しないから毎回赤点、学校では殴られるから定期的によくサボる、当然出席日数も足りない。それでもなんとか退学にはならなかった。都合良く嘘で塗り固め自己防衛しながら刹那的に生きていた。そして自分が3年生になると学校は自由な楽園となった。そしてあっと言う間に過ぎていくのだった。

 卒業が見えて来ると中学時代と同じ壁にぶつかった。相変わらず目標が見あたらないのだ。仕事に就く気もないし、これからまた勉強する気もなかった。皆が就職試験を受けるので「ソンダラバト/ならば試しに」と友人と二人で「オンナス/同じ」企業の就職試験を受けてみた。盛岡のホテルで一次試験を受け僕は簡単に落ちて友人が一次を通過した。誘っておいて「ワレガ/自分」が落ちるなんて中学の友人と同じだ。やっぱ、運だけじゃ人生渡っていけそうがないと思った。その後友人は仙台での二次試験で落ちた。

 楽園のような高校生活も終わりに近づく頃、何とか自力で市内の企業に就職を決めた。学校の紹介とか知人の紹介とかまったくなしでいきなり訪問して取り次いでもらった。その企業の紹介で試験を経て横浜の技術学校へ。一年間の缶詰状態のスパルタ教育で技術者として卒業、再び宮古へ戻った。しかし、その間もやはり僕には目標がなかった。心の中は技術を身に付ければ何かと都合がいいだろうと思っているだけだった。しかし特殊技術であるがためその職を離れると生きて行くための武器にもならないのであった。

 そして今、やはり僕には目標はない。今、結果的に思うことは、人生が目標探しの旅であり、目標は最後まで見つからないし、見つかってしまったら新たに目標を探さなければ人は生きて行けないってことだ。『夢も希望もない』とよく言うが、それは裏を返して『現実をよく見ろ』という示唆なのではないかと思うのであった。

懐かしい宮古風俗辞典

がふたら

大きすぎてサイズが合わない。靴や服などが大きく余裕がありすぎる様子。

芸能界で簡単な物事や名称を仲間に知らせる時に、周りにいる第三者に判りにくいよう言葉の上下を逆にして独特な専門用語化する場合がある。「おっぱい」=「パイオツ」とか「乳首」=「ビーチク」などだ。このように言葉を逆さにする風潮は江戸時代からあって漫才や落語のオチである話しの「タネ」も「ネタ」と言うし、それにあやかって寿司屋の寿司だねも「スシネタ」と言う。宮古弁で身体より大きなサイズの服を着たり靴を履いたときにその状態を「ガフ」または「ガフタラ」と言う。これは共通語で言う同じ意味の「ブガブガ」「ガブガブ」が変化したものでちょっと特殊な変化にになっている「ガフタラ」は「ブガブガな様子、ブカブカなようだ」という意味になる。「~タラ」は「ナードスタラ/どうしたら」「ナンタラ/なんという」「オメサンタラ/あなたったら」など色々なシーンで使われ様々な意味を持つ特殊な宮古弁だ。空耳音楽が好きな人には昔ゴダイゴというグループの邦楽ヒット曲『ガンダーラ』が♪がふた~ら、がふた~ら、愛の国がふた~らと聞こえたりするとか。

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