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2011/10 所詮オラァ、一般大衆でごぜんす

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 どんなに「ゼネコ/お金」があってもあの世までは持っていけないというのは「ワガットレンス/わかっています」。さりとて、銀行金利なんてスズメの「メッツル/涙」ほどもない。バブル前に「タイスタ/すいぶん」流行っていた利率のいい『スーパー定期』なんて、もはや夢のまた夢だ。「ホンダラバ/それなら」株や先物で大きく増やそうかと思っても生まれつき「ケツポラーナ/ケツの穴」が小さく度胸もない。と、弱気になって言ったもののテレビや新聞を見ると円高ドル安の今、狙えば大もうけしそうな感じがする金融商品や株式銘柄はなんとなくわかる。会合が終わってからのちょっとした酒の席で株をやっているという知人がこれみよがしに語る相場の理論と株の諺(ことわざ)や例え話がどことなくカッコよく見え、普段は「ドゴサデモ/どこにでも」いるよなただの脂ハゲのオヤジが大きく見える錯覚さえ感じる。自分も飲み屋のホステスたちに「一円で買って二円で売るのが株の基本さ」などと「カダッテ/自慢話」してみたいもんだ。そして復興の押し上げと円高で乱高下する相場を乗り切ってほんの「トペンコ/僅か」でもいいから利益を出してエコノミストを気取ってみたいものだ。そして株自慢をするハゲオヤジに「オガゲサンデ、スコス、モウゲサデモラッタ/おかげで少しだけ利益がでたよ」と何気なく言ってみたい…と夢は膨らむ。しかしながら覚悟を決め、現金を「タンネーデ/持参して」証券会社に行っもこの世界、何分にも信用が要だから株をいきなり買えるものではない。さりとてPCを操ってネットで申し込むほどパソコンの知識もない。オレってやっぱり「セッコギモノ/面倒くさがり」で経済オンチなんだ。結局は、汗水流して稼いだ銭は「ダレサモ/誰にも」「ケッタグネー/渡したくない」だけなんだと気付いたりする。

 仕事一筋というほど真面目ではなく、趣味もなく、特技もない。10年ほど前は一時期パチンコに熱中したが結局は負け戦だと気が付いた。早く気付いて良かったと思ったがその時点での負け分は口が裂けても言えない。それはおそらく「カガサマ/妻」も知っていて勝った時「ベーリ/ばかり」機嫌がいいからお見通しなのだろう。それでも「カガサマ」にしてみれば休日にダンナが「ムッタリ/フルタイムで」家に居るより良いと思っていたかも知れない。それがパチンコをやめてから土日は夫婦揃って家に居るのもんで、さぞかし息が詰まっていることだろう。そう言えば若い頃は同級生や会社の仲間と麻雀で卓を囲んだものだが、あの頃の面子とは今は付き合いはない。気が知れた仲間内で打つ博打は緊張感がないうえ金銭の貸し借りで会いづらくなってそれっきりだ。最初のうちは街で会ったら「ナンボーカスタッタケーナ/幾らかを貸しているからな」と冗談半分で言っていたが、次第に疎遠になりお互い昔の博打の借り貸しは口に出来なくなった。きっとあいつも気まずいんだろうと思っているのだろう。今では同じ町に住んでるのにすっかり会わなくなった。そう言えば震災で職を無くしたと人伝いに聞いたがその後どうなったか判らない。まぁ、知らせが無いということはどうにか生きているのだろう。  友人知人の中には昔取った杵柄とやらで、高価なギターや機材を買い込み「ヒトマーリ/干支一周で12歳の差」も違う連中と「イイトスーステ/年甲斐もなく」ロックバンドなんかやってるヤツもいる。自分だって学生時代には「ボクサレ/オンボロ」ギターで拓郎の曲ぐらいなら少しは弾いていた。それはそれで楽しかったが、バンドを組むヤツらはエレキギターで外国の曲を演奏する。英語の歌詞にカタカナのルビをふって「みぃーちゅー」とか「うぉんちゅー」などと歌う連中を見て笑っていたが、文化祭や予餞会に向けて練習する彼らの連帯感には憧れたものだ。

 バイクに乗って颯爽と風を切って走る…なんてのも憧れる。七日ぐらいの行程で北海道を走るなんていいかも。腰も弱り筋力はぐんと落ちたが「スコスベーリ/ちょっとぐらい」大きなバイクでも何とか乗りこなす自信はあるつもりだ。バイクは中学の頃から家のバイクを無免で乗り回していた。オヤジの目を盗んでは125ccの黒いバイクを持ち出してアクセルターンやブレーキターンをやってはいい気になっていた。何度も転ばしステップが曲がりその都度「プタツケラレ/叩かれ」叱られた。それでもあの頃はバイクに乗れるヤツはヒーローだったから懲りずにバイクに乗っていたのだと思う。その後高校に入り16歳の誕生日を過ぎるとみんなが自動二輪の免許を取った。自分は次のブームは車だろうと思いバイクは無免で通した。しかし、バイクの免許を取った連中は堂々と公道を走りどんどん上達し、街中をサングラスやマスクで顔を隠して走ったり、密かに広場や河原で曲乗りばかりする自分は完全に置いていかれた。卒業が近くなると予想通りみんなバイクから車にシフトしたが、車の免許なんて持ってて当たり前であり自動二輪こそ貴重だったのだと気付いた。成人していい年になって無免で捕まったらカッコ悪いと思い中型二輪の免許を取ったが、排気量は400ccまでの(399)までの制限付きだ。試しに400ccのバイクを買って乗ってみたが乗るのは年に数回、車検と税金だけが無駄になるので数年で手放した。今ならお金もなんとか工面できるけれど400以上の大排気量のバイクは要らないと思う。そんな何をやっても「イッツモ/いつも」中途半端な自分が情けない。

 最近は歳のせいか「ゴシューギヨッカ/祝い事より」仏事に呼ばれる機会が多くなり年に何回も「オデラサ/寺に」行く事になる。寺には天井からぶら下がった金ぴかの天蓋や大壇幕、木魚や鐘など、どれを見ても檀家や信者からの貢ぎ物で、何処の誰それ…寄進などと書いてある。さすがに神社仏閣に寄進するほど信心深くはなっていないが、そんな寄進もお金の使い道のひとつなのだろと思ったりするからちょっと悲しい。ああ、オレって中年の峠を越えた老年なんだなとしみじみ思う。そんな震災後の秋の夜長であった。

懐かしい宮古風俗辞典

とんずぐ

比較的人的空間と空間を何かで繋ぐことができる。手が届く。手すりや取っ手に手が届くこと。

 背が低く高い棚に置いてある物を取ろうとして手が届かなかったりすると「トンズガナイ/届かない」といい、少し「ツメタデ/つま先立ち」をすれば届く場合に「トンズク」と言う。しかしながら届く届かないを言い表してはいるが、手紙やお知らせなどの通信物の場合は「トンズク」や「トンヅガナイ」という言葉は使われない。また、「トンズグ」を短縮して「トズグ」と言ったりもする。おそらくこの言葉は「取り付く」という共通語が語源になり、「トッツグ」「トヅ(ズ)グ」「トンヅ(ズ)グ」などに変化したものだろう。似た言葉に「トツカマグ/とっつかまえる」などがあり、これらは対象物が不規則に逃げ回る状態で相手を取り押さえた状態を言う。また、取り付くとは言っても、キツネや怨霊が乗り移る「取り憑く」とも意味が違う。宮古弁をはじめ北上山地の村々の中にはかなり古い時代に使われた古語があまり変化せずそのまま残されたものが多いが、その中でも言葉の中に「ン」を入れて意味を強調したもは多い。例えば「ホンバラバ/それならば」「キンノウ/昨日」なども何気なく「ン」が入っている。お国言葉=方言は時代と共に刷新され古い言葉は世代とともに葬られてきた。しかし、宮古にはまだまだ古い言葉が残りそれを愛する人もいっぱいいる。

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