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2008/05 昭和30年代の宮古一中前交差点辺り

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 僕がまだ小学校のころ小山田橋はまだなくて、小山田から町へ出るには工場へ通う従業員のためにラサ工業宮古精錬所が作った「カリバス/仮橋」を渡って閉伊川を越えた。当初は街灯や転落防止のワイヤーもなく「ヨンマニ/夜に」「ヨッパレー/酔っぱらい」が「ツクトレダリ/転落したり」、「セッコギステ/面倒くさがって」自転車に乗ったまま渡ろうとして転落する人もいた。そんなわけで極めて危険な橋ではあったが、そもそも「カリバス」がラサ工業所有であり、本来工場関係者しか通行出来ないのに、橋があれば誰でもそこを通るわけで工場側は暗黙の了解で通行制限などをしてはいなかった。また大雨や洪水で「カリバス」が流されてもその復旧に小山田住民がお金を集めるという事もなかった。しかも、晩年は小山田の工場脇に社宅が完備され「カリバス」を渡って通勤する従業員はすくなかった。しいて言えば現在の宮町裁判所付近にラサの「エレーサマ/重役」の社宅があったが、重役さんたちが「カリバス」を渡って通勤するというのはなかったし、あくまでも緊急時の通路として存続していたのだろう。そんな訳で「カリバス」は自動車も通れる小山田橋が出来る昭和50年11月までラサ工業の所有管理で小山田をはじめ周辺住民が勝手に使う便利な橋だった。

 小山田から橋を渡って堤防を越えて八幡前(現・宮町)に降りると正面に宮古一中、右手に宮古高校がある。一中の北東側は背の高いポプラ並木で樹木と樹木の間に網が張られていつも野球部が練習していた。当時の一中野球部は逆さいちょうがある方向にバックホームを置き、道路側へ向かって守備が展開されていた。自分たちはグローブすら誰も持っていなくてユニフォームを着て白球を追う野球部の姿に憧れた。しかし、自分たちの目の前で球拾い的役目をする下級生らの「コエ、コエー」とか「バ、ッター、バ、ッター」と聞こえる独特の奇声は理解できなかった。ちなみに「コエ、コエー」は「ボール、来い来い」「バ、ッター、バ、ッター」は「どうしたバッター」みたいな意味だと思うが、外野の外側で毎日奇声を上げている下級生たちの声はガサガサに潰れているから「ガエ、ガエ」と聞こえて、中学に入っても野球部だけはやだなと思った。

 一中の野球部をみたら今度は宮古高校野球部の練習をみに行く。宮古高校野球部は現在のバックネットとほぼ同じ位置にホームベースがあり、昔から土手に座って練習を眺めるオヤジたちがいた。「ドーロッパダ/道路沿い」から観る一中の野球部とは雲泥の差で、球拾いの奇声もかすかにしか聞こえない。使用する球も軟球ではなく硬球だから打った音も違う。ただ練習で使われるボールは茶色に「ニスマッテデ/汚れていて」遠目でみていると土の団子を打っているようにみえた。ところで宮古高校野球部と言えば当時の噂で確証はないのだが、野球部に入ったら後輩は先輩に対していかなる時も「~ネンス」の敬語を使わなければならないと友人たちが言っていた。例えば「ノドガ、カウェーダーナー/ノドが乾いたな」と先輩に言われたら「ソーダガネンス/そうですね」という風に「~ネンス」を語尾に追加するのだと言う。伝統ある学校だから各時代によって様々なしきたりがあったのかもしれない。

 ところで「ネンス」は相手に対して敬語的に使われ、なおかつやんわりと同意を求めるようなシーンでも使われる宮古を代表する宮古弁だ。共通語的に訳すと「~ですね」に相当し、目上や経済的・社会的に格上の相手に対して話を切り出すときに、単語のひとつひとつに追加して相手に対しこちらの敬意の大きさを表現することも出来る。例えば「キンノーネンス/昨日ですね」「イッタッケーバネンス/行ったらばですね」「ハーオワッテデネンス/もう終わっててですね」「クスリ、モラエナガッタ、ネンス/薬を貰えなかったのですね(ですよ)」のようになる。このように「ネンス」の活用は相手に対する敬いを単語ひとつで済ませて「ブゾーホー/失礼」するようなことはなく、これでもかと言うほどにこちらの敬い姿勢を連呼しているわけだ。

 宮古高校の体育館脇の道は宮古駅の操作場に突き当たって右折し、釜石方面の八幡沖踏切まで一本道だ。確か校舎と体育館の間あたりに「しだれ柳」の大木があった。「オドゴワラスガドー/少年たち」はその木の下を通ると必ず枝を「オッカイデ/折って」葉っぱを「ムスッテ/むしって」ムチのように振り回して遊んだ。ちなみに八幡沖の「沖」とは「先」の意味であり「沖合」のように海だけで使われる訳ではない。八幡沖とは横山八幡宮を起点にその先、八幡の外れという意味で現在の大通り界隈をさす。

 現在の宮古一中前交差点辺りには「千歳屋」という「ミセヤ/雑貨屋」があって「カリバス」経由小山田街道の一里塚というか「イップグ/休憩」場所となっていて七輪に「カナダレー/金タライ」をのせて「ヌクタメダー/温かくした」牛乳などを売っていた。道なりには現在の出逢い橋登り口あたりに簡易裁判所があって、裁判所の「カドコ/角」には不定期だったが「オヤキ/きんつば・大判焼きなど」の屋台が出ていた。そのまた先には国鉄職員だと優遇されて買い物が出来る国鉄物資部という木造平屋の複合店舗があり、町中のスーパー並の賑わいだった。現在出逢い橋がまたいでいる線路には「女学校前踏切」と言う古風な名前の踏切があって、踏切横に大判焼きの店があり、ここは宮古高校に通う女生徒たちの甘味処だった。ちなみに男子生徒は学校側にあった揚げ物屋でコロッケや串カツを食べた。この店は現在の自衛官募集事務所と思われ、車ごしに外から内部を窺うと今でも当時の白いタイルが確認できたりする。

 八幡様から西には「ノデヤマ」と呼ばれる小山があって、いい遊び場なのだが、ここは一中や宮小の生徒たちのテリトリーで小山田から遠征している少年一行にしてみれば肩身が狭い。「ノデヤマ」の向う側は山口川の閉伊川放水路で橋はなかった。今、考えると「ノデヤマ」は大正から昭和初期に新たに開削された放水路の土砂捨て場であり人工的につくられた小山だったかも知れない。

懐かしい宮古風俗辞典

【ひとめーする】
幼子や、家族としか接触していない室内犬などが来訪者を怖がって母親の陰に隠れたり、自己防衛のためにしきりに吠えたりすること。「オクセル」とも言う。

 幼子が見知らぬ人に対して自己防衛のため母親の陰に隠れたり、その場から逃げたりすること。共通語だと「人見知り」とか「臆する」と表現する。宮古弁では「臆する」の場合は「オクセル」と変化して、前述のような幼子の場合「オクセッコ」「オクセワラス」でも「ヒトメースル」と同等の意味になる。しかし、全く同等の意味しか持たない別々の言葉が生息すると言うのは無意味であり、「オクセル」と「ヒトメースル」にはそれぞれ違う意味の部分が隠されていると思われる。最もストレートなのは「人目を気にする」が「人目する」に変化したと考えるが、これでは人気や外見を気にする意味が強く、本来の自己防衛的意味を欠く。そこで古語辞典を調べると「人臆面(ひとおくめん)」で「人見知り」を意味することがわかる。また、古語的表現で「人怖(ひとおめ)」と言うのもあり、宮古弁の「ヒトメースル」は古語テイスト、「オクセル」は時代的にも新しい共通語テイストだというのがわかる。あくまでも本誌の独自理論ですのであしからず。

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