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2007/11 紐をユッキル(結ぶ)という文化について

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 宮古市崎山の崎山貝塚は今から約5000年前の縄文中期から3500年前の縄文晩期にかけて集落があったことを今に伝える貴重な遺跡で、今では国指定史跡だから他の市町村に「ズマンペ/自慢したがり」しても「ブゾーホーノネー/不作法のない」すげぇ遺跡だ。考えてみれば旧崎山村地区には海が「スケッツード/時化ると」海水を吹き上げる「スオフギイワ/潮吹き岩」と「ノンベー/大酒飲み」が見ると一升ビンを「アッペケェーツァ/逆・逆さ」にしたように見えるという「ローソグイワ/ロウソク岩」、そして洋上には東半球では「メズラスイ/珍しい」貴重な海鳥クロコシジロウミツバメ、夕方岸辺で子供が「ゴボーホッターヨーニ/ただをこねているような」啼く「グズリ/オオミズナギドリ」、珍しい「ヒンダリマギ/左巻き」のカタツムリなどが生息する「ヒテスマ/日出島(保護のため上陸禁止)」、など「ヒテスマ」を含めた3つの天然記念物、加えて漁港周辺の岩は白亜紀の化石を産出する宮古層群、ウミネコをはじめ多くの海鳥の繁殖地でもある姉ヶ崎などなど名所旧跡揃いだ。だた単に「スロクテ/白くて」キレイとか、昔「ナンタラヅー/なんとかと言う」偉い坊様が絶賛したという事実か伝説かもはっきりしない浄土ヶ浜とは訳が違っていて、いわば崎山の名所は学術的なのだ。

 さて、崎山自慢はそんなところにして、はるか昔大陸から日本列島が分割され、これまたはるかな時が流れ縄文時代から弥生時代を経て東北が中央政権によって支配され、そして現在に至るまで人々の文明は進化し続けてきた。崎山貝塚で多数出土する縄文様式の土器や石器なども当時の文明のかけらであり、人々は知恵を絞って工夫し生活に取り込んできた。そんな生活の知恵の中に「ユスブ/結ぶ」「ユッキル/縛る」という「ヒモコ/紐」の文化がある。 当初「ヒモコ」は「アゲビ/アケビ」や「クゾパ/葛」などの自然界にあるツタ性植物を使い、後に、植物や低木の樹皮から、糸状の繊維を取り出しそれらをこよりにしたものでより柔軟な「ヒモコ」を作ったと思われる。「ヒモコ」の用途はまず何かを束ねて複数のものをひつとにまとめる、物に通して肩などからぶら下げる、帯のように身体に巻くなどその展開性は無限だ。言ってみれば「ヒモコ」で「ユッキル/きつく結ぶ」文化は他のほ乳動物にはない人の文化であり、もしかしたら火より以前に考案された文明のひとつなのかも知れない。

 私たちも4~5歳になると「ヒモコ」を「ユスブ/結ぶ」シーンに遭遇する。はじめて「ヒモコ」を「ユスンダ/結んだ」のがいつだったか記憶が残っている人は少ないけれど、その時幼い視覚と指の神経、右脳・左脳が活発に働いて「ユスブ」という動作を完結しているはずた。その人の人生にとってそれはエポックメイキングな出来事であり、のちに人は「ユスブ」ことで色々な工夫を見いだしてゆく。「ツリコヤ/釣具店」からバラで買ってきたハリに「ハリス」を「ユッキタリ/結んだり」、オリジナルの仕掛けを「コッツァグ/作る」のもそんな子供時代の「ヒモコ」のシーンが基本になっている。

 生活の中はもちろん趣味や仕事のシーンなど、ありとあらゆるところに「ヒモコ」を「ユッキル」シーンは存在するわけで、そのシーンに応じて様々な「ユスビ」が存在する。そんな中で最もメジャーな結び方に「トツコユスビ/なかなかほどけない結び方」がある。これは別名「ダンゴユスビ/団子結び」「ツルンコユスビ」とも呼ばれ、結び目を中心にして両方に強く引けば引くほど締まりが増して素材によっては本当に二度と解けなくなる。ちなみに「ツルンコユスビ」とは犬の交尾で雄犬の陰茎もろとも睾丸まで膣内に入ってしまい自力では抜けなくなり尻尾と尻尾をつけた状態でおろおろする犬のように「外れない」「解けない」という意味だ。ちなみに昔は、犬のほとんどが放し飼いで彼らも自分の意志でせっせと繁殖活動に励んでいたわけで、その頃のたとえ話だ。

 次の結び方は「チョウチョユスビ/蝶々結び」だ。これは「リボンユスビ/リボン結び」とも呼ばれもっともポピュラーな「ヒモコ」の結び方だ。この結び方の特徴は両端になっている「ヒモコ」を外側へ引っ張れば結びが「ホドゲル/解ける」というもので、プレゼントや服のブラウスのリボン、何度も「ホドイダリ/解いたり」「ユッキッタリ/結んだり」を頻繁に繰り返す運動靴やスニーカーなどに最適だ。

 次は「タデユスビ/縦結び」だ。これは子供の頃に紐の結び方のノウハウをちゃんと練習しておかないと大人になってもなかなか治らない結び方だ。また自分の目の前で「ユスベバ/結べば」ちゃんと「チョウチョユスビ」になるのに、エプロンのように後ろで「ユスブ」と「タデユスビ」になるという人もいて、こればかりはひたすら練習して癖として身につけるしか直す術はない。ちなみに「ニッカン/納棺」に際して仏様に着せる旅装束の手っ甲や脚絆などは非日常を意識して「タデユスビ」にすることになっている。このため「タデユスビ」は縁起が悪いとされ特におめでたい席などでは忌み嫌われる。

 さて最後に結ぶと言えば「ヒモコ」とは直接の関係はないけれ、農家の労働力助け合いのことを「ユイ/結い」「ユイトリ/結いとり」と呼ぶ。これは特定の地域の中で広い耕作面積を持ちながら作付けや収穫に従事する労力が不足する場合、地域の労働力を一斉に集めて一気に作付けし、これを順番に行い全員が各家の労力として参加するという方法だ。このやり方は沿岸の農家に比べ広い耕地をもつ内陸の農家で発達しているようだ。しかし一見、和気あいあいそうに見える「ユイトリ」だが、昭和6年の某家の茅葺き普請の「ゴッツォー/ご馳走」の内容、「サゲコ/お酒」は何合、「コビリ/小昼・おやつ」は何々…と事細かに記録されており、これが相手とのつき合いのバロメーターとなっているようだ。「ヒモコ」ではなく人と人が手を「ユスンデ/結んで」助け合うという精神の裏側は意外とリアルだったりする。

懐かしい宮古風俗辞典

【おでんすたーがー】

 いらっしゃいますか?在宅しておりますか?の意味。客として他人の家へ訪れ玄関を開けたときに発する敬語を含んだ表現。正確な訳は「おいでになりましたか?」

 最近の家はどこの家も「ピンポーン」と鳴る呼び鈴があって、その家を訪問した人はまずそのボタンを押して家の人に来客を伝える。また近年はカメラ内蔵型のインタホンなども安価になっており、訪ねてきた「オギャクサマ/お客様」を室内から確認できるから防犯効果というか押し売りや宗教勧誘などを撃退するには最適だという。しかしながら、宮古人が他人様の家へ伺う場合はやはり玄関前で「ゴメナセンセ/ごめんください」と一声をかけてから玄関の戸を少し開けて「オデンスターガ/ご在宅でしょうか、誰かおりませんか」と声をかけるのが昔からの流儀だ。また、来訪者がその家にとってかなり「ツカスー/親近感がある」場合は、「オデンスターガー」と声をかけながら既に靴を脱いで框に足をかけたしする。家の人も来訪者の声や気配で客が誰なのかわかっているから「オォ、ヘーレェー/おお、上がれよ」と返事をしたりする。

 老妻と猫と一緒に今日もテレビを観て「オヂューハン/昼食」を食って「オヂャコ/お茶」を飲んでいつもの昼下がり、誰か訪ねてこないかなぁ…と思っていたら玄関で「オデンスターガー」の声。こうやって今日も宮古の午後が過ぎてゆきます。

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