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2007/06 建前は激熱のスミノゲェーで家運向上

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 その昔、図書館で宮古弁講座をやった時、最後の質問コーナーでご年輩の「オンツァマ/オジサン」から「おめさんスミノゲェってわがってだぁーすか/お前さん隅の粥って知ってるか」と質問された。講座は平日ということもありお客は「アンマス/あまり」入っていなかったが「トペーンコ/ごく少し」などの宮古弁分量表現を説明しながら、そこまで順調に「コーノーキッテ」きた僕にとってまったく予想外の質問だった。

 当時の僕は今の知識に比べれば悩み多き修行僧程度であり、不覚にも「スミノゲェ」という宮古弁を知らなかった。壇上で困惑する僕に対して質問した「オンツァマ」は、講座で説明した宮古弁の分量表現においても、最も少ないという意味の言葉に「チョチョペーンコ/超極々少々」というのがあると付け加え、最近の「ワゲーモン/若者」が語る宮古弁は本当の宮古弁じゃないと嘆いてみせた。その時の僕は受講者から質問され、それについて答えられない講師であり今思い出しても本当に情けない。「だいたいにすて、宮古弁づーはねんすぅ…」。講座は最後の質問コーナーにして完全に「オンツァマ」に主導権を奪われ、僕は「亀の甲より歳のコウ」の諺を噛みしめ早く時間が過ぎることだけを願っていた…。

 さて、そんな今となっては苦い思い出も、人前で話をする時の「コヤス/肥やし」となって、今では講座だけでなく人前で宮古弁の「ウダコ/歌」も披露できる心臓になった。そんなわけで今月は前段の「オンツァマ」の言う「スミノゲェ」とそれにまつわる宮古弁を紹介しよう。

 「スミノゲェ」とは「隅の粥」という意味だ。「ゲェ」とは粥のことで「オゲーコ/お粥っこ」の「ゲー」部分だ。この粥は食欲不振や風邪ひきが食べる「オゲーコ」ではなく、「タデメー/棟上げ式」の儀式に食べる特殊な粥だ。食べると言っても全員が食べるというものではなく儀式に参加する代表者が食べる。「スミノゲェ」の儀式は次の通りに行われる。まず両親が二人揃った家の子供4人が選ばれる(5人の場合もある)。父母が健在で、しかも離婚や別居などしていない健全な家庭環境にある少年少女、あるいは青年が適任だ。主催者はそんな4人にご祝儀を出して「スミノゲェ」に参加してもらう。参加者はその場に散乱している「コッパ/木端」で炊いた「オゲーコ」をお椀に盛ってもらいそれぞれ、四隅に壁に向かって立ち、合図で熱々の「オゲーコ」を急いで「カッコム/かきこむ・食べる」。「オゲーコ」は熱湯状態だからそう簡単には食べられないのだが、いち早く食べ終わった人は他の3人が食事中でもその箸を取り上げ儀式が終了となる。いち早く食べ終わった人には主催者から「ホマヅ/お小遣い」も出るから「スッタ/舌」をやけどしながらも参加者は一生懸命に熱々の「オゲーコ」と格闘する。勝者が取り上げた箸は「オゲーコ」をよそったヘラ、「デークサン/大工」さんが作った「コーセーサマ/金勢様・男根」などを加えワラで編んだ縄などに刺して屋根裏となる柱に固定する。四隅は東西南北の方角の吉凶を意味し、「オゲーコ」を急いで食べるという理由は、いつまでも温かいご飯が食べられ同時に家が繁盛し日々忙しい様を表し、ヘラがその家の「オガダ/主婦」を「コーセーサマ」が「タナサマ/旦那様・男性」を、箸が子供らを表し、この家が末永く栄えるという縁起担ぎの意味があると考えられる。そんな大切な意味のある「スミノゲェ」ではあるが高度成長期後の住宅建設ラッシュ時に儀式は省略されて今に至る。だから僕が図書館での宮古弁講座で「スミノゲェ」のことを聞かれても返答できなかったわけで、僕が見てきたいくつもの「タデメェ」ではすでにそんな儀式は衰退していたのである。

 さて「オゲーコ」の話はそれぐらいにして、「タデメー」と言えば独特の吹き流しを屋根に飾る。吹き流しは悪神を祓う鍾馗様が描かれた板を中心にして左右に交差した魔除けの矢羽根の絵、そして陰陽五行を意味する五色の旗をなびかせる。鍾馗様は姿恰好が地獄の閻魔大王に似ているが閻魔様とは無関係だ。鍾馗様は中国伝来の神で、ものすごく勉強して官位に就いたがその恐ろしい容姿のため失脚したという「ムゾコイ/無情な」運命を辿った人物だ。落胆した鍾馗様は自殺したが死後も悪鬼と戦いこれを皇帝が認め国を護る神として認めたというものだ。矢羽根は鬼門から入る禍々しいものを射ぬく破魔矢だ。矢羽根の下には鶴亀の絵がありこれは末永い「ナガイギ/長寿」を意味する。五色の旗は赤、青、白、黒、黄で鯉のぼりの吹き流しのカラーリングと同じだ。長さは約三尺から五尺、長くても七尺という奇数の決まりになっていて「タデメー」が終わってからこの旗を妊婦の腹巻きにすると安産すると伝えられる。

 これら「タデメー」を象徴する部品を大黒柱に固定して屋根に掲げ、遠くから見てもこの家が特別な儀式中であることを周りの人に知らせ、町内の人達に集まってもらうのである。

 簡易な祭壇には「オミギ/御神酒」「ナマ/赤い生魚」「モーヅ/餅」五穀などを供え、この家が末永く存続するようにと「奉上棟大元詔家運長久(じょうとうだいげんしょうかうんちょうきゅうたてまつる)」などと墨書きした「ムナフダ/棟札」があり、それを「トーリョー/棟梁」「ダナサマ/家の主人」「デークサン/大工」の順に拝んでその後に餅撒きをする。

 「タデメー」で撒かれる「モーヅ」は6センチ四方程度の紅白の「ノスモーズ/のし餅」で、現在はナイロン袋などに入れて撒くが、ひと昔前は包装せずそのまま撒いたし、もっと前は「モーヅ」ではなく餅米をついた「オスットギ/しとぎ」を薄く切ったものを撒いた。「オスットギ」は神楽の権現様の口に噛ませる神事用の供え物で、お菓子屋、餅屋などで売られている青豆の「スットギ」とは形状こそ似ているが別物と考えていい。

 これから新築される家の周りには「モーヅ」を拾うため大勢の人が集まり歓声が上がる。その後、関係者たちは「オリコ/折り詰め料理」などをつまみながら、外から丸見えの「トハンド/戸」もない未完成の家で酒盛りをして「タデメー」を終える。

 「タデメー」が終われば工事は急ピッチに進み各業者が出入りしながら「イェ/家」が完成してゆく。

懐かしい宮古風俗辞典

【もーこ】

 物の怪のこと。お尻の蒙古斑や、鎌倉時代の文永11年(1274)と弘安4年(1281)に日本へ攻め込んだ中国「元」のフビライによる北九州来襲事件とは関係ない。

 電気がなかった昔の夜は今よりずっと暗く漆黒の闇が支配していた。人は深層心理の奥底に、火を手にするまで死肉を喰らい暗闇に脅えて暮らしていた頃の記憶があるのだという。そんな人の闇への恐怖は想像力となって有史以来様々な怪物を作り出してきた。また、日没とともに人目を忍んで蠢きだす怪しい職業への恐怖もあった。それらは妖怪やお化け、あるいは人買いや押し込み強盗などに例えられた。「もーこ」とはそんなあやかしをひっくるめて表現した言葉だ。実際には「物の怪(もののけ)」が転化したもので、人に取り憑く幽霊、お化けのたぐいから、「津軽婆っこ」などに代表される子供専門の人買いや「女衒(ぜげん)」のような若い娘専門の人身売買業者も「もーこ」とされる。そのため夜に口笛を吹いたり、鳴り物を鳴らすと「もーこ」たちが、この家には子供がいるぞと狙ってくるとされた。「もーこ」と「蒙古」を混同して、鎌倉時代の元寇(げんこう)のことだとする人もいるが、「もーこ」という表現はもっと古い古語であり、元寇も恐ろしい事件ではあるが言葉の発生とは直接関係ないと思われる。

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