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近吉家

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南部藩に没収された近吉家の黒仏

宮古の駒井家の先祖は近江の国(滋賀県)の商人であり船で日本海を周りながら宮古の地へとたどりついたという。駒井家の先祖は、近江の国を出る際に、生家から今生の別れだからというので家にあった家宝の仏像一体をもらった。この仏は浄土真宗開祖の親鸞聖人が自ら己の姿を刻んだものとされ全身が黒いことからっ「黒仏(くろぼとけ)」と呼ばれた。 宮古に定住した駒井家は「近吉家」という屋号に改名し廻船問屋を営んだ。近吉家には祭壇があり、黒仏が奉られており商売は仏の御利益で繁盛したという。しかし当時、浄土真宗では人々の信仰にかかわるような仏像の持ち出しは禁じており、近江の浄土真宗寺院では長年の間持ち出された仏像を探していた。これを耳にした南部藩では近吉家に対して祀られている黒仏を、近江に返却するのではなく盛岡の浄土真宗寺院献上せよという命令を発した。近吉家ではこれを堅く断り続けたが、宮古代官所給人でもあり藩の意向に背くわけにはいかず、弘化5年(1849)黒仏を献上。これにより藩が提示した遠野の水田三十石を得た。後に近吉家では返還を懇願し続けたが黒仏は帰ってこなかった。現在、黒仏は盛岡の願教寺に安置されている。

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