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西塔幸子

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  • さいとうこうこ【分類・歌人】
  • 明治~昭和:明治33年~昭和11年(1900~1936)

山峡の歌人

教師生活のほとんどを県北の山間へき地で生活し、苦悩に満ちた人生の旅を歌に残し山峡の歌人と言われた女教師。死後、歌集『山峡』が昭和12年に発行され人々の共感を呼んだ。明治33年6月30日、紫波郡不動村(現矢巾)で生まれた。大正8年岩手師範学校女子部を卒業し教師となった。大正10年12月に旧磯鶏村尋常小学校に転任。磯鶏小学校時代は西塔ではなく旧姓大村カウとしての記録が残る。進歩的で教育熱心な先生として生徒から慕われ、特に音楽的才能に優れオルガン演奏は評判であったほか、大正11年には宮古館での慈善音楽会に出演し独唱を行っている。しかし子どもの死や夫の酒乱、火災、自身の病気で苦悩の36歳の生涯を閉じた。

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