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愛宕中学校

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目次

愛宕中学校沿革

宮古市立愛宕中学校は平成13年(2001)3月で創立50年の歴史の幕を閉じた。校舎の老朽化や少子化による生徒の減少によるものだが宮古市にとって新制中学校が誕生して以来の初の閉校となった。
愛宕中学校は昭和22年に宮古市立第二中学校愛宕分室として開設され、愛宕地区や、白浜地区の生徒たちが入学した。同25年に現在の宮古市立愛宕中学校として開校。現在の愛宕小学校の横に併設された。当時の生徒数308人、6学級の編成だった。その後校舎は、現在の場所に昭和36年に移転落成、翌37年には体育館が落成した。また校舎も38年には増築され現在に至っている。築地、新川町、愛宕、光岸地、中里、白浜が生徒の学区であるが昭和37年の生徒数450人をピークに年々減少。一時、昭和52年に200人を越えたが、しかし減少の一途をたどり、平成13年には1年生25人、2年生15人、3年生30人の計70名の生徒数となった。
創立から廃校までの50年間において特筆すべきは昭和46年に野球部が県大会で優勝、バスケットボール部やテニス部、バレーボール部も県大会出場など数々の記録を残している。「自主的で、協力しあい、誠実に生きる生徒」を教育目標に掲げこれまでの卒業生は3813人を数える。

愛宕中学校校章

愛宕中学校校章の構図は、三角形は「三陸海岸」を意味し、その中にある波が更にその意味を表現している。三角形にまたがっている「円」は宮古市の中心を意味するとともに、円満、誠実、協力を現し、愛宕中学校の生徒の進むべき姿勢を象徴しているということである。制定は昭和35年、作者は当時美術科担当の三上信平氏。

震災後は仮設住宅が建ち並ぶ

震災後の愛宕中学校跡地には被災者のための仮設住宅が建ち並んでいる。震災後宮古市では学校や公園など市有地に仮設住宅が建ったが、愛宕中学校跡地の仮設住宅が一番最初に開設し多くの被災者を受け入れた。敷地内には学校が存在した当時の校門の門柱が残っていてかつての学校だった面影が残る。また、北東側は園地になっておりこの地に愛宕中学校があったことを記した石碑数基が建立されている。

愛宕中学校校歌

作詞 佐伯 郁郎 作曲 石井 五郎

1.風光る 丘の上

こころ明るくつどいして
学ぶわれらに誇りあり
ああわが母校 愛宕中学校
若き生命を育ぐくむところ 
われらは愛す限りなく

2.波光る 太平洋

かもめ群れとぶ閉伊岬
若きわれらに希望あり
ああ果てしなき 大海原
憧れ遠くひろがるところ
われらは歌うたからかに

3.雲光る 御殿山(月山)

朝明け空にかがやきて
仰ぐわれらに励みあり
ああゆるぎなき 高き山脈 
ゆたかに力あふれるところ 
われらは讃う限りなく
(昭和38年制定)

地図

https://goo.gl/maps/zrm7R

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