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岩間北冥

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  • いわまほくめい【分類・俳人】
  • 江戸時代:安永8年~天保7年(1779~1836)

花鳥風月を愛した孤高の俳人

岩間北溟は江戸中期から後期にかけて活躍した宮古の俳人。俳人として南部藩内には言うに及ばず、奥州全域に名を広げ、江戸、関西では特に有名でその作品は当時の全国版句誌に多く掲載された。
北溟は、南部藩御給人の高浜村の岩間家に安永8年(1779)に生まれた。幼名は寅之助、通称は竜八。10歳で父の死去により、本町の酒造屋「えびす屋」を相続したが、幼い頃より学問を好み、俳句や書画などに心ひかれ、家業は使用人まかせであったと言われ、「一所不在、同行二人」の芭蕉の故事にならい、風流を友とすることが夢であったらしい。
北溟は、俳諧、絵画修行のため文化年間30歳から74歳まで江戸・京都へ遊学している。しかし、その行動の詳細はよくわかっていない。
宮古へ帰郷後は、俳句三昧の晩年であり、文政9年(1826)12月に小沢に別荘「季花園」を建築、黒田町の山口川付近に草庵を設けた。このためこの付近の地名が近世まで庵屋(あんや)として残り、川を庵屋川と呼んだ。この庵の床の間は西側にあり、梅の古木を床柱として壁もつけなかった。そのため、この床を通して、遠く早池峰山が見え、ちょうど画幅でもかけたようであったという。晩年の天保3年(1832)には「大樗庵発句集」(だいちょあんほっくしゅう)を出版している。北溟の句は次のようなものが残されている。

  • ものいわず 顧みる也 門の萩
この句は「雨の紀行」の第一作。文化2年(1819)北溟27歳の時のものである。北溟の作品は身近な所に題材をとられ「もののあわれ」「生きるものの立場といのち」に心を寄せている。運命共同体としての、山や川、木や石、鳥や獣とも生き合いたいという愛情が溢れている。以下、北溟の句を記す。
  • 草の戸や きりぎりす寄る 膝頭
  • 啄木の 仏の教へ 聞きまいれ
  • 月丸く なったぞ雁も 渡り来る
  • 蝶の外 心の友は なかりけり
  • 聞く我も ほこりがましき 蛙かな
  • 人らしく 花にばかりは 見られけり

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