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宮古八景を読み解く

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目次

聞き慣れた宮古八景にも様々な歴史と解釈がある

特定のエリア内において最上とされる8箇所の景色を選び「八景」とする流れは古来より文人墨客らの知的遊びのひとつだった。これは中国で発生した八景思想が室町時代に日本へ持ち込まれたもので中国の漢詩を真似て作られたものだ。日本では琵琶湖を中心とした景観を漢詩で表現した「近江八景」が知られ、その後江戸時代には文人らが近江八景を真似て各地でその土地の八景を選出し漢詩に詠むことが流行した。都桑案内にも大正期に詠われたであろう宮古八景と特選宮古八景が掲載されている。ここでは八景にまつわる歴史や漢文の読み下しを紹介する。

八景には条件と決まりがあった

八景として選ばれる景色には中国の古事にならい室町時代に作られたという「近江八景」の形や順序を崩さず並べなければならないという暗黙の約束がある。そのため江戸時代に全国的に流行した八景選びには「~秋月」「~夕照」「~晴嵐」「~帰帆」「~晩鐘」「~夜雨」「~落雁」「~暮雪」などの言葉が含まれそれらをテーマとしてその土地の地名、名所をはめ込むというものだった。しかし時代が下るにつれて古い約束事は少しずつ省略され、様々な解釈のもと各時代の知識層が「新八景」と称して新たな景色を詠んできた。宮古市でも数年前宮古観光協会が中心となり市民等に宮古八景とする場所や景観を募り、平成の宮古八景を制定したのは記憶に新しい。

宮古の八景の歴史

宮古における八景の歴史は、江戸期の享保19年(1734)に初陽末一(読み不詳)という人が詠んだものと、明和8年(1771)に村井勘兵衛が詠んだものが伝えられる。初陽末一に関してはどのような人物であったかはいっさい不明だが、末広町蟇目家に文書が残されており、次のような宮古八景を残している。

『宮古八景』
享保十九年~初陽末一

  • 「尾崎帰帆」
  • 「臼木晴嵐」
  • 「鍬崎夜雨」
  • 「藤原夕照」
  • 「宮古晩鐘」
  • 「石崎落雁」
  • 「横山秋月」
  • 「黒森暮雪」


後年の村井勘兵衛に関しては盛岡鍛冶町出身、南部藩御用達の商人であり金融家として幕末から明治の九十銀行設立にも関与している。一説によると勘兵衛は宮古の八幡宮の祭りに来遊し宮古の文人墨客と交わり八景を残したとされ、これが後世にも伝えられ宮古八景として一般に知られるようになった。この時の八景とその順位は次の通り。

『宮古八景』
明和八年~村井勘兵衛

  • 「横山の秋月」
  • 「常安晩鐘」
  • 「藤原の夕照」
  • 「黒田落雁」
  • 「黒崎帰帆」
  • 「鍬ヶ崎夜雨」
  • 「臼木青嵐」
  • 「黒森暮雪」


江戸時代に詠まれた宮古八景は、初陽末一のものが、船舶を使って宮古へ入り、黒森を経由して閉伊街道を西へ向かったコースで並べられ、後の村井勘兵衛は盛岡から閉伊街道を東に向かって宮古へ入り、帰路ではやはり黒森を経由し閉伊街道を西へ向かったコースで並んでいるのではないかと推測されている。

大正時代の宮古八景

都桑案内では宮古、鍬ヶ崎の名所旧跡を紹介しているが、最後に当時、佐藤東山(詳細不明)という人が選んだであろう「新宮古八景」、それに対して上館全霊(詳細不明)という人が選んだ「特選宮古八景」を紹介している。「特選宮古八景」(次頁)は漢詩による説明があるものの、知識がなければほとんど読み下しできない。大正7年当時、最新の八景で詠われている名所をできるだけ当時の雰囲気を込めて意訳した宮古八景は次の通り。

『宮古八景』
大正七年~佐藤東山

  • 「鍬ヶ崎夜雨」
しとしとと 降り来る雨に 灯の洩れて 夢や楽しき 春の夜の街。
  • 「宮古橋夕照」
早池峰 添へて行きかふ 人みへて みやこの橋の 夕栄えにけり。
  • 「藤原の晴嵐」
打ち寄する 波かとぞ聞く 藤原の 松の梢に わたるあらしを。
  • 「尾崎帰帆」
真帆片帆 うち連れ帰る 舟みへて 閉伊の岬は 絵となりにけり。
  • 「横山秋月」
夜を護る 神のみいつは 横山の 秋の夜にこそ 月に著るけれ。
  • 「保久田落雁」
年々に かりねの宿と 馴れや来し 保久田に落つる 雁の一つら。
  • 「黒森暮雨」
梢残る 雪まだ白し 黒森の 祖父祖母の髪 寒うして。


特選宮古八景
大正七年~上館全霊

  • 宮古橋新霽 (みやこばしのしんせい)

窺魚翡翠忍飛来。詩景千山霽色催。春水瑠璃明似鏡。一奩半黛痕開。

  • 訳 魚を窺い翡翠(ひすい)忍んで飛来す。詩景千山ひとしく色を催す。しゅんすい瑠璃明らかに鏡に似たり。いちれん半ばひたり黛痕(たいこん)開く。
  • 意訳 魚を捕ろうとカワセミ(翡翠)が気づかれぬように飛んでくる。詩にうたわれそうな風流な景色は、たくさんの峰々、みな同じような彩りを表している。春になって水かさの増した川は瑠璃色で光がさして明るく鏡のようだ。化粧箱は半ば水にひたり、まゆずみの跡があけすけになっている(奩・箱)。


  • 舊都島新潮 (きゅうみやこじましんちょう)

海底霊湫今在不。閉川滾滾水空流。潮来潮去無消息。宮古干今三百秋。

  • 訳 海底れいしゅう今あらず。閉川こんこん水空流る。潮来たり潮去り消息無し。宮古に今三百秋(さんびゃくしゅう)
  • 意訳 都島は海底の水と化したか、今は無い。閉伊川は水がぼこぼと転がるように、水は空を流れている(※難解な表現だが都島が海底に没したことを表現している)。潮が来、潮が去り、潮は変わるが都島はどうなったのかの知らせはない。宮古に今はもう三百年の月日が過ぎ去った。


  • 鍬ヶ崎春夜 (くわがさきのしゅんや)

紅燈緑酒古金秋。忽聴絃歌起海樓。何必人間憐白髪。誰言此曲掃閑愁。

  • 訳 紅燈(こうとう)緑酒(りょくしゅ)古金秋(こきんしゅう)。忽(たちま)ち聴く絃歌(げんか)海樓(かいろう)に起きる。何ぞ必ずしも人間白髪を哀れまんや。誰か言う此曲(しきょく)閑愁(かんしゅう)をはらう。
  • 意訳 遊郭に紅く灯るともしび、そして緑色に澄んだ酒が幾年となく昔から酌み交わされてきた。にわかに芸者が客の前で三味線を弾いて歌ったりする音が、海っぱたの高い建物の遊郭から聞こえてくる。どうして人間は白髪頭を哀れまなければならないのだろうか。哀れむ必要などない、年寄りでも紅灯を慕って当然だ。誰が言う、この調べが、静かにしていると湧き起こってくる、もの寂しい気持ちを払ってくれると。


  • 測候所暮雪 (そっこうじょのぼせつ)

萬千氣象水之。漁夫維舟向晩看。日落北風吹雪去。残霙點岫一天寒。

  • 訳 萬千(ばんせん)の気象水の干。漁夫(ぎょふ)舟を維(つな)ぎ晩看(ばんかん)に向かう。日落ち北風(ほくふう)吹雪去る。残霙(ざんえい)點岫(てんしゅう)一天寒し。
  • 意訳 気象には多くの数がありそれぞれ様々であるが、結局は水が乾くかどうかである。漁師は舟を繋ぎ夜の見張りに向かう。日が沈み北風がおさまり、吹雪も去った。残った霙は点々と岩穴のようで空全体が寒い。


築地通歸漁 (つきじどおりのきりょう)
斜陽皷c萬牧漁。正是千家慶有餘。江國風光入圖繪。美人相喚賣鮮魚。

  • 訳 斜陽皷z(こえい)萬牧漁(ばんぼくぎょ)。正(まさに)是(これ)千家有余の慶(よろこび)。

江國(こうこく)風光(ふうこう)圖繪(ずかい)に入る。美人相(あい)喚(よ)び鮮魚を賣(う)る。

  • 意訳 夕暮れとなり日が傾き、舟の櫂を動かして漕ぎ帰り、数多くの舟のすべてが今日の漁を終わる。まさにこれは一千余りの漁家一軒一軒の喜びである。川っぷちの国(大げさに表現している)の景色は風情があって絵にもなっている。美人の女性がお互いに負けじと大声で鮮魚を売っている。


浄土濱秋月 (じょうどがはましゅうげつ)
六幅布帆斜日收。人間看此小滄洲。諸天一碧無纖翳。明月八千八水秋。

  • 訳 六幅(りくふく)布帆(ふはん)斜日(しゃじつ)收(しゅう)。人間(じんかん)この小(しょう)滄洲(そうしゅう)を看る。諸天(しょてん)一碧(いっぺき)纖翳(せんえい)無し。明月(めいげつ)八千八水秋(はっせんはっすいしゅう)。
  • 意訳 六種の布で作った帆に斜陽が収まる。人が住む世にこの小さい仙人の住処(すみか)を見る。すべての空はただ青々として、僅かなかげりもない。澄み切った空に輝く明るい月は、浄土の澄んだ水の隅々に数多く映ってなんともすばらしい秋である。


  • 水産校櫻花 (すいさんこうのおうか)

數樹山櫻種作隣。此花况又國精神。東風早引香雲白。飽看校門萬朶春。

  • 訳 數樹(すうじゅ)山櫻(さんおう)種作(しゅさく)隣す(となりす)。此花(このはな)况(いわんや)又國の精神。東風(とうふう)早く香(かおり)を引き雲白し。飽(あ)くまで看(み)る校門、萬朶(ばんだ)の春。
  • 意訳 幾本もの山桜が種から育ち、隣り合って大きく育っている。この花、つまり桜は言うまでもなくわが国の精神(心)である。東から(海から)吹いてくる風によって桜の香りは早く去り雲は白い。飽き飽きするほど見惚れる、校門にたくさん咲き揃った桜花の春よ。


  • 潮吹巖晩汐 (しおふきいわのばんせき)

帝遺海神揮斧斤。奇巖突兀望中分。怒潮噴霧如飛雨。b作濛濛浦口雲。

  • 訳 帝(てい)海神(かいじん)を遣わし、斧斤(ふきん)を揮(ふる)う。奇巖(きがん)突兀(とつこつ)望中(ぼうちゅう)分かる。怒潮(どちょう)噴霧(ふんむ)飛雨(ひう)の如し。y作(はっさく)濛濛(もうもう)浦口(ほこう)の雲。
  • 意訳 天帝は海神を使わされ、斧と鉞(まさかり)をふるった。珍しい形をした岩石が高く突き出て聳え、遠くから眺めている景色の中で分かれている。激しい潮が噴き上げて霧のようになり飛ぶ雨のように降りかかってくる。こぼれ散り、霧や煙のようにあがって見通しが悪くなる、海が陸地に入り込んだ場所に立ち込める雲であることよ。


  • 宮古橋新霽

宮古と藤原にかかる宮古橋は古くは新晴橋という名前の橋だった。特選宮古八景の中では新晴の「晴」の字をわざと難字の「霽」に置き換えている。

  • 浄土濱秋月

この頃の浄土ヶ浜は鍬ヶ崎の奥座敷であり、上町の料理屋が経営する「東秀館」という別荘があったという。夏期には鍬ヶ崎の桟橋から芸妓を乗せて屋形船が往復していた。

  • 水産校櫻花

水産学校は現在の岩手県立宮古水産高校の前身であり、当初現在の愛宕小学校に水産補修所として開校、後に現在の藤原小学校に移転し水産学校となる。この木造校舎は各学校として利用された。

  • 鍬ヶ崎春夜

鍬ヶ崎上町の山手に菊池長右衛門の別宅として建設され、後に皇室や要人を招く迎賓館のような施設になったのが対鏡閣だ。昭和初期、老朽化と田老鉱山からの策道敷設のため解体された。

平成の新宮古八景

数年前に(社)宮古観光協会が中心となり市民等に宮古八景とする場所や景観を募り、平成の宮古八景を制定した。
同時に写真と短歌も募集しコンクールを開催したようである。
詳細については宮古市のホームページに掲載されている。

  • 潮吹岩-潮を30メートルも噴き上げる天然記念物
人恋ふる熱き想ひにたぎること 清しき空に潮噴き上ぐる
  • 日出島-別名軍艦島とも呼ばれ、クロコシジロウミツバメという海鳥の繁殖地
日出島の太古の海の証しなる アンモナイトは語り継がるる
  • 臼木山-100種類、800本の桜を有する公園
青春の思い出がある臼木山 サクラの下で描いた未来図
  • 浄土ヶ浜-陸中海岸を代表する景勝地
水清き浄土ヶ浜に波寄れば 水底の石ゆらめきて見ゆ
  • 月山-太平洋・浄土ヶ浜・姉ヶ崎・宮古市内を眺望
月山に水平線を見はるかし 子に語りしは若き日の夢
  • 十二神山-太平洋沿岸に残された最も自然度の高い森林を有す
尋め行けば太古のままに木々は立ち まほろばの神住まひましける
  • 津軽石川-鮭の遡上する川、白鳥の飛来地
大洋を遥かに帰り遡上する 鮭に定めの命を見つむ
  • トドヶ崎-トドヶ崎灯台があり、本州最東端の地
螺旋階段眼くらみて上りたり トドヶ崎燈台海に浮くごと
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