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大正七年都桑の花

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都桑案内の末巻は宮古、鍬ヶ崎の旅館案内、料亭・遊郭案内があり、最後に「みやこまさり」として数人の芸妓のプロフィールを写真も加えて紹介している。この冊子が発行された大正7年あたりの鍬ヶ崎花柳界は最も華やかだった頃であり、芸妓、半玉の数が最も多かった古き良き時代だ。また、料亭、料理屋に加えて多くの遊郭も軒を並べておりたくさんの遊女がいた時代だ。

  • 長岡屋(鍬ヶ崎上町・電話七番)

測候所切り通しを越ゆれば右側に壮大なる邸宅あり。一見料理屋とも覚しからず軒燈に書して長岡屋となす門を潜りて入る。室内広大にして瀟洒たる処、若し鮮魚の美味と風光明媚は黙して嘆美なり。

  • 旭屋(鍬ヶ崎上町・電話四十七番)

町の中程、山の手に通う小路に三階造りの高雅なるものあり。これ旭屋にして室内清鮮、浅酌低唱の四畳半より広間に至る迄、念入りの造作は誇りとするに足りるべく、三階は鍬ヶ崎全景を一望する。

  • 相馬屋(鍬ヶ崎上町・電話四十一番)

堂々たる邸宅に類し建築の華美なる。誰か是を見て酒閣となすか、さながら士族の屋敷の勘り。主人の風流忍ぶに足りるというべし。海に瀕し眺望絶佳なり。本来妓楼なりしが昨今これを廃し純然たる料理店となる。

  • 阿部川(鍬ヶ崎上町・電話十一番)

長岡屋に隣りで小造りの二階建てあり。これ阿部川にして、入るに易く、出ずるに易し。三絃の響きかすかに海面吹く風に涼味を覚え、月を賞し漁り火を愛ずる。四畳半の楽しさ、安値に遊ばすを以て得意となす。

  • 柳川(鍬ヶ崎本町)

人造石の火防線に隣りて、松の緑の絶え間なく客足繁きは柳川なり。料理の安値なること定評あり。この他鍬ヶ崎上町には「大和屋」「西ノ宮」「梅花庵」「瀬川屋」「喜楽」「迎月園」などあり。

  • 鈴木亭(宮古町川端)

黒田町下がる山口川岸に沿って一画を占め、広荘高雅なるを鈴木亭とし、一名、運平屋と称す。山口川の流れ清らかに、田園遠く拓けて遙かに八幡山を望む。酌婦数名ありて座を賑わす。

  • 船越亭(宮古町本町)

本町の角を行き交う人の袖引くに易い。昼夜粋客狎妓(こうぎ)の浅酌低唱するを見れば、酒あり女ありしまた楽しからずやとは盛んなりと言う。この他に宮古町には「二葉亭」「花輪屋」「鈴木屋」「八百屋」「富田屋」「櫻亭」などあり、いずれも酌婦数名を置いている。

  • 遊郭

遊郭は割烹店とともに鍬ヶ崎上町に散在している。「玉川樓」「日吉樓」「松鶴樓」「田中樓」「宮喜樓」はいずれも大店にして、「松月樓」「新玉川」「新松鶴」「更科樓」「新開樓」「ふじ屋」などがこれにつぎ、紅燈灯る頃不夜城を現じる。

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