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2014/03 インドア石碑順禮

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~石碑建立の理由とその背景様々な神を祀る石碑~

 今月はこの時期特有の積雪などもあり石碑散策が困難なうえ、せっかかく探し当てても積雪によって現場での写真が撮りにくいこともありインドア石碑散策として石碑の種類や傾向、その建立背景などを探ってみよう。

 では最初に人はどうして石碑を建てるのかという素朴な疑問から考えてみよう。石碑建立の背景には人が何かを崇め讃える思想が流れている。これは御利益を得ようとする願いから、哀れにも死んでしまった者たちを供養するもの、恐ろしい現象を封じ込めようとするものなど様々な理由が挙げられる。そしてそれらが人のもつ信仰心と結び着いて何らかの事象を節目とした記念碑などになってゆく。永遠に存在するであろう石に文字を刻み後世に残すことは未来へ向けたメッセージであり、その時代を生きた人々の証しにもなるのである。

 次に石碑をどこに建てるかという部分を見てみよう。現在石碑がある場所というのは往々にして寺の境内や神社の参道が多い。これらの石碑が集まった場所は石碑群と呼ばれ近年であれば道路拡張工事や都市計画などで古い石碑が集められる場合が多い。また、家の没落や災害などで行き場を失った石碑が寺や神社に集められ新たな石碑群を形成する場合もある。しかし、新里地区や川井地区を散策すると違う理由で石碑群が形成されていることがわかる。それはその地区、古い単位で言えばその部落と隣の部落との境に建立された石碑群だ。これらはその村へ入る街道の出入り口にあり、境となっていて村への厄災をブロックする塞ノ神となっているのである。加えてその村に入ってくる外来者に対して村の信仰心とその力、また石碑の規模によって経済力をも誇示する場合もある。例えば2メートルを超すような巨大な西国順禮塔などは、西国巡りをして戻った達成感に加えその偉業を誇示する意味もあったであろう。外来者はその巨大な順禮塔を見上げその村にいるであろう建立者や世話人の経済力に威圧されるのである。

 現在の町内感覚よりもっと狭い空間単位で共同体を形成していた時代は村の外は異界と考えられ厄災や病気などは外部から持ち込まれると考えていた。塞ノ神の発想はそんなよそ者を威嚇し村内に入れない呪いでもあったのだ。

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 石碑を分類するには刻まれたお題目別の他に年代や大きさ、材質、形状など様々な方法があるわけだが、次はは「◎神」とされる石碑の種類を見て行こう。

【山神・やまがみ】

 山の神とも言う。山での仕事に特化した信仰媒体で林業、狩猟、炭焼きなどに関係する。山の神はいずこかの奥山に住んでおり12人の子供がいるとされる女神だ。しかし、宮古地方の正月のお飾りで表される山神は箕藁をまとった髭面の男神で俗信とは異なる。これは同じ山神でも山間部と麓農村で信仰される形や御利益が違うからだ。これと同様に山中で鉱脈を掘る鉱山の民、木を切り器を作って移動する木地師の民らにとっての山神もまた別の顔を持っている。宮古地方における山の神の縁日は毎年12月12日で、この日は山神が山の木を一本一本調べて記帳するとされ、伐採などの山仕事は全面休日となる。

【地神・ちのかみ】

 大地を神とする自然信仰。人が農耕をするようになって最も底辺にある信仰であり、同時に太陽を崇める信仰だ。御神体は蛇や溶けた鉄の場合が多く農耕に使う鍬や鋤なども関係しているため鍛冶神とも結び着いている。宮古では「おのうがみ・御農神」として信仰される。

【水神・すいじん】

 民俗学者・柳田國男は遠野で語られる河童の怪異伝承は昔は崇められた水神が零落したものではないか?とその正体を考察している。人の暮らしにおいて水は大切な部分であり、農業においても水は重要だ。しかし、これが井戸となり簡易水道から上水道となる課程でかつて水神として崇めたものが、忘れ去られ同時に妖怪として人にあだなす物として生まれ変わったとしている。かつては無数に立てられた水神塔も今では少なく、深山の鉱泉などが出る水源に薬師如来と合わせて建立されるのみとなった。

【蚕神・さんしん】

 蚕を祀る石塔だ。養蚕は明治初期から昭和初期まで輸出品として国をあげて取り組んだ生糸産業であったが戦争とナイロンの発明で衰退した。最盛期は宮古でもほとんどの農家が養蚕を行い幼虫を現金に見立て「金虫」などとと呼び現金収入の糧であった。蚕の日本へ伝来は古く弥生時代にはすでに朝鮮半島よりもたらされていたと考えられる。虫が吐いた糸を紡ぐためにはサナギとなった虫を大量に殺してしまうことになり、その自責の念は養蚕技術とともに白山信仰として大陸からもたらされ、以後独特な変化を遂げてオシラ信仰として伝わった。宮古の石碑のほとんどは養蚕供養塔で大正から昭和初期のもだ。

【竜神・りゅうじん】

 竜は架空の動物だがその姿は鹿や蛇などの山の動物に、ハ虫類、魚類が混ざったもので山から深海へ通じる一連の畏怖が込められている。宮古地方における竜神信仰の最たるものは八大竜(龍)王で山形県鶴岡市の善寶寺は鮭定置網をはじめ遠洋漁業など漁業関係者に信仰される。八大竜王は古代インドの神で仏教に取り込まれ天部に属する眷属となった。深海から高山のカルデラ湖など辺境の地に住む8匹の龍はそれぞれの絶大な力を持っており自然を司るという。海の冥界である竜宮や岬信仰にも通じる。

【雷神・らいじん】

 民間信仰では太宰府に追われ非業の死を遂げた菅原道真は雷神となり、都に恨みの雷を落とし被害をもたらしたとされる。しかしこの雷は菅原道真のかつての領地だった桑原には落ちなかったことから、何か不吉なことある事に人々はそれに「あやかって「桑原、桑原」と唱えた。また、宮古地方でも養蚕が盛んだった頃は雷が鳴ると部屋の隅に桑の枝を供え「万才楽、万才楽」と唱え雷除けをしたという。落雷した土地は帯電により活性化するため土地が肥えるとされる。そのため落雷した神社の神木などで御札を作ると御利益があると信じられている。石碑的には数は少なく宮古でも数基あるのみだ。

【金神・こんじん】

 一般に方位神のひとつで十干や方位方角に関係する。金神が入った方位はすべてに於いて大凶をもたらすとされる。この方位は常に動いておりこの方角を無視して事をなすと家族隣人7人が死に至る「七殺」となり恐れられた。また、よく見かける石碑で金と刻まれたものは金神ではなく金比羅神の略で、金比羅信仰を意味するものだ。

【荒神・こうじん】

三宝荒神、三方荒神などの文字で石碑に刻まれる。竈や台所を司る神とされるが、元々は日本に土着していた民間神が神道に取り込まれて新たに役割を与えられたものだ。山伏や陰陽師などの修験者が渡り歩きながら全国に広めたもの。疱瘡神である牛頭天王信仰などとも結び着いた万能神であり、粗末にすると本来の姿である荒ぶる悪神へと化身するという。

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