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2013/12 最初に買ったレコード

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 男に限らず人は誰でも蒐集癖というものがあって、その人の趣味嗜好のツボにはまれば誰だってコレクターになる。ただ、その習癖がいつまで続くか、どこまでエリアを広げるかによってコレクターとしての病気度が違ってくる。僕は古くて味のあるものなら何でも集めるのだが、その中でも特に好きなのが昭和の「カマリ/匂い」が漂う雑貨だ。とはいえ、昭和と言っても戦前のものやまして戦時中の「ムジョコイ/痛々しい」遺物は専門外だ。やはり戦後、それも日本が高度成長していく昭和30年代から40年代後半の品々に愛着を感じる。そんな懐かしい昭和時代の思い出から、今月は趣味の王道レコードについて思い出してみよう。

 レコードを買うことは音楽文化を買うことだった。テレビやラジオから「キケーデクル/流れてくる」好きな歌手が歌う曲を「イヅダリ/いつでも」好きなときに聞くためレコードを買った。しかし問題はその再生装置である。基本的に家にレコードプレーヤーがあるかどうかが最初の関門なのだが、なんとか音は出せてもその性能によって再生される音楽は雲泥の差があるのだった。昭和42年当時、市営住宅に住んでいた僕の家にはコロンビア社のレコードプレーヤーがあった。それは「ミガンバゴ/ミカン箱」ぐらいで「ウエッカ/上部」のフタを外してLPレコードを乗せると本体からレコードがはみ出した。下部はスピーカーになっていて今思えばモノラル再生だった。プレーヤーには33回転と、45回転があり、なんと78回転もあった。だから45回転のレコードを33回転で聞くと速度が遅いため再生周波数帯が低くなり女の声も太い低音になったし、33回転のレコードを45回転で再生すると高い声の早口になって面白かった。回転数で声の質が変わる仕掛けを巧みに利用したのがあの頃ヒットした『帰って来たヨッパライ』であった。あの曲を聞いて誰もが通常録音されたものを早廻ししたものだと察しがついた。余談だがこの曲の歌詞は主人公が酔っぱらい運転で事故死して、天国に行ってまでも酒を飲み神様から天国を「ボンダサレ/追放され」最終的には生き返るという都合のいいストーリーで犯罪者が天国に行くなど、今なら到底許されない歌詞であろう。

 あの当時、僕の家にあったレコードは100%親父が趣味で集めたもので、西田佐知子の『アカシアの雨がやむとき』、ハワイアンムードの日野てる子の『夏の日の想い出』などで、非番の日には「アサマッカラ/朝から」繰り返して何度もかけていた。あの頃はレコードの音が「キケール/聞こえる」というのは文化生活であり、なにかと「ズマンペ/自己顕示欲が強い」だった親父はこれみよがしに近所中に聞かせたかったのかも知れない。数年後、団地住まいから一戸建てに引っ越して親父はすぐにステレオを買った。木目調にプレーヤー部と左右のスピーカー部が分割できる日立製で、市営住宅時代とは雲泥の差だ。しかもレコードのA面が「オワッツード/終わると」「ヒトリステ/自動で」アーム部分が戻る最新式だった。親父は早速クラシックの全集みたなセット物のレコードを買って大音量でかけては悦に入っていた。そして、その頃にやっと僕は付録ではない自分のレコードを買ったのだった。

 あの頃レコードを買いに行った店は末広町のおばらと服部時計店だった。また、緑ヶ丘には確か田中レコード店、中央通ではササソウ電気がレコード販売をしていたし、もっと昔は鍬ヶ崎上町の岩徳電気店・通称「イワトグ/後の岩徳商店」がレコードを販売していた。もしかしたら「イワトグ」こそがが宮古のレコード販売の草分けかも知れない。僕がレコードに興味を持った1970年代初頭は色々なタイプのレコードがあったがEP盤(シングル盤)は400円、LP盤は1800円~2000円ぐらいだった。しかしこれは、370円と印刷された部分に400円のシールを貼っておりこの時代を経てオイルショック等でレコードの価格は「ワツカヅズ/少しずつ」値上がりしていった。さて、400円と言えば当時の少年にとって結構大きな金額だ。そのなけなしのお金で買うレコードだから本当に好きな曲でなければならないのだが、なんと僕が最初に買ったレコードはドリフターズの『ミヨちゃん』であった。今でもそのレコードは手元にあるが、どうしてこのレコードを買ったのか理由は不明だ。しかし大好きなドリフのレコードであったがそのうち周りに「キケール/聞こえる」のが「ソースグ/恥ずかしく」なってきて僕のレコード第1号は封印された。そしてその後、ラジオから流れる未知の洋楽へと僕の音楽趣味はシフトしてゆくのだった。

 この時代は『オールジャパンポップ20』などを聞いては洋楽ヒットチャートで贔屓曲のランクアップダウンに一喜一憂していた。1970年、僕は転校を経て千徳小学校の6年生だった。まだ、あの伝説のビートルズが現役でヒットチャートに名を連ねていた。マンダム化粧品のテーマだった『男の世界』、渚夕子とベンチャーズとの『京都の恋』、翌年にはカーリーヘアーにとんぼめがねでフランス語で歌いまくるミシェルポルナレフの『シェリーに口づけ』が大ヒットを飛ばした。ニューヨークビルボードの最先端ヒット情報を知ればその曲のレコードを買うことで自分も流行に乗れると信じていた。レコードをこっそり学校へ持っていき洋楽好きの女の子とレコードの貸しっこをしたこともあった。僕にとって洋楽が三度の飯より大切なものとなっていった。  おばらの店内では店員に言うと店内のステレオでレコードをかけて直接視聴もできた。レコードを買う行為にも慣れてくると棚にジャンルや50音別に並んでいるレコードをサクサクと探すこともできるようになった。ジャケットタイトルの凄さや写真のかっこよさに騙されたりもした。「◎◎◎の最新盤を買ったぜ、聴きにこないか?」と友だちや恋人を誘った時代であった。あの古き良き時代、レコードは男女を結ぶアイテムでもあったのだ。まさに忌野清志郎が歌う『トランジスタラジオ』の歌詞の通りの時代だった。

ためになる宮古弁風俗辞典

ぶっかげる

壊れる。使い物にならなくなる。

往々にして東京地方では共通語が使われているということになっているが、未だ、ごく少数ではあるが東京ならではの下町言葉と称される言葉も脈々と受け継がれている。ちなみに共通語とか標準語はいくぶん乱暴ではあるがNHKのアナウンサーがテレビで使っている言葉と思っていいだろう。彼らは「やなこった/嫌なことだ」とか「ちげーねーや/違いないな」などの東京下町言葉、すなわち江戸弁は使いません。さて、そんな古典的かつ有名な江戸弁に「ぶっかける/液体を勢いよくかける」があります。「ぶっかける」の他に「ぶっつぶす/潰す」とかか「ぶんまわす/乱暴に振り回す」などがあり、これらは動詞を強調させるために「ぶっ」を頭部分に加えた接頭語です。しかし、これはこれでいいのですが宮古弁に似たような脈略ですが「ブッカゲル/壊れる」があります。宮古弁で「ぶっかける」は「ブッカゲル」であり意味は「壊れる」ことであり、液体をかけることではありません。ですから「ぶっかけそうめん」とか「ぶっかけうどんつゆ」などの品名は混乱します。おまけに「ブッカゲデマス/壊れています」は江戸弁だと「ぶっかけてます/乱暴にかけてます(液体)」となるわけです。ちなみに宮古弁の変化活用は「ブッカース/壊す」「ブッカレル/壊れる」などがあります。

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