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2013/01 しょうゆパンくたせんせ

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 戦後、復興に向けてひたすら経済活動に勤しんだ割に、精神的に影響されやすく、新しモノ好きで意外とお気楽な日本人は、西欧の異国文化に触発され多くのイベントを国民行事として受け入れてきた。8月の盆には墓参り、11月の七五三ではお宮参り、そして暮れの12月にはキリスト様やマリア様そっちのけでクリスマスで盛り上がり、大晦日に寺の鐘を突いて煩悩を消し、元旦にはまたしても初詣でお宮参り、正月三が日は門松を立て餅を食って謹賀新年。しかも12月のクリスマスイブ前夜の23日は現在の天皇誕生日ときている。仏教、神道、天皇、基督教だからホント、節操がない。さて、そんな行事やイベントには何故か昔から特定の食べ物が付きものだった。今で言う正月の餅、バレンタインにチョコ、クリスマスのケーキみたいなものだが、ひと昔前はその穢れ無きハレの日を記念して参加参列者に「イマサガ/紅白大福・美作餅」を配りお目出度い節目としたようだ。そして宮古ではそんな特別な日に学校では何故か香ばしいしょうゆパンが配られた。しょうゆパンが配られたのは1月1日の元旦「トストリ/年取り」、紀元節を祝った建国記念日の2月11日、天長節を祝った4月29日、明治天皇誕生日の明治節である11月3日だ。(本稿の天長節は昭和天皇誕生日で後のみどりの日、その後改正で昭和の日。明治節は旧暦9月22日を新暦に直し11月3日。後の文化の日)これらの日は戦前、戦時中は日本国民にとって特別な日であり、身を正し正装で迎えるべく誉れ高き日であった。学校では校長先生はじめ皆が燕尾服、女先生も着物姿で式典があり終了後にはお待ちかねの、交差した国旗が印刷された紙袋に入ったしょうゆパン2枚が配られ、その日は授業もなく解散となった。

 さて、これら式典や当時の風潮は今更ながら戦時色が濃く、突き詰めると現在の某国の姿を思い浮かべてしまうのでやるせなくなってしまうが、ここでこのコーナーとして大問題なのは「なぜ宮古ではしょうゆパン」だったのか?という疑問だ。「イマサガ」饅頭だとアンコや餅が高価だったことと保存性の問題等もあろうが、誰がこの各種記念日にしょうゆパンを設定したのだろう。そして、その問題のしょうゆパンはいつから宮古にあってどの店が最初に作って売り出したのだろう?という素朴な疑問に辿りつくのであった。

 しょうゆパンは「パン」とは呼ばれるが肝心のイースト菌は使っておらず小麦粉、砂糖、玉子、油脂などを練り合わせ重曹を加え大きめの小判型に伸ばしオーブンで焼いたもので、仕上げにしょうゆを卵黄で伸ばしたタレを表面に塗って仕上げたパン風の焼き菓子であった。タレを塗った所は「ネッパル/粘る」ので製品同志が「クツカンネー/くつかない」ように焼き上がり時ににオブラートを載せたりした。食べるとほのかに甘く香ばしいが、パサつきタレを塗った表面は歯の「ウラケー/裏側」に「クツカッテ」「エンズコイ/具合が悪い」。だが、しょうゆ風味に誘われて手が止まらず、つい「モスモスド/勢いよく無言で」食べてしまうのだった。また、誰が考案したのかしょうゆがあるのだから「みそ」でもよかろうと、みそパンを作ったらこれが好評で結構売れたようだが次第に消え去ってしまった。やはり本家はしょうゆパンで大型スーパーでは見かけないが、ちっちゃな「ミセヤ/雑貨屋」では今でも販売されている。ちなみにお店で買い求めるなら「ソーユパンクタセンセ/しょうゆパンくださいな」が正しい宮古弁の発音だ。

 戦後の昭和30年代前半に生まれた僕の少年時代には、紀元節や天長節は建国記念日、天皇誕生日であり一年間の中にある単なる祝日だった。玄関に国旗を飾る家は今よりは多かったけれど、学校で大福やしょうゆパンを配ったという記憶はない。逆にハイカラな雰囲気が漂うクリスマスは大イベントでボーナス商戦の年末大売り出しと相まって、本来の意味は知らなかったがプレゼントを交換してケーキを食う日として位置づけられていた。しかし、そんな時代であったがしょうゆパンはハレの日の食べ物から、「オグヤミ/お悔やみ・弔問」のお返しの「トギパン/伽パン?」としてひっそりと存在していた。現在の「オグヤミ」の香典返しは石けんやお茶だが、ちょっと前まではしょうゆパンだったのだ。だから学校から帰ってきてテーブルにしょうゆパンがあると葬式を連想するので「ソースギパン/葬式パン」と呼ばれることもあった。

 元々パサついて「ノドツマリ/咽詰まり」しやすいしょうゆパンだが、食べずに「フテナゲドグド/放っておくと」堅くなりさらにパサつく。焼き菓子だから日持ちはするが堅いと美味しくない。そんなしょうゆパンを「ナゲベス/捨てよう」と言うと「トソリ/年寄」はもったいないといい「オジャッコ/お茶」で「フヤカステ/柔らかくして」食べ、自分は「エレバ/入れ歯」だからこのぐらいが丁度いいという。そしてついでだからと「イガセンベー/いかせんべい」も「オジャコ」に浸して「ヤーコグ/柔らかく」して食べたりする。

 あの頃、そんな「トソリ」を見て「シャッターゴド/いやだこと」と思ったが、最近は堅いトーストをコーヒーに浸して食べたりしている自分がいる。ちなみにしょうゆパンは今でもローカルお菓子屋さんで生産され消費者に愛され続けている。ただ、最近は物価高で昔に比べてサイズはぐっと「ペンコニ/小さく」なったようだ。これからはしょうゆパンを使って新しいメニューでも開発され、再度脚光があたればいいなと密かに願っている。どうか料理研究家の皆さま、被災地宮古のしょうゆパンをよろしく。 


懐かしい宮古風俗辞典

出ました、究極の宮古弁辞典・ことばのおくら

 鴨崎町在住の坂口忠氏(85)がこのほど宮古弁方言集『岩手県宮古市宮古・ことばのおくら』(上下組)を発行した。この本は方言研究家として長きにわたり宮古弁を追求してきた氏が平成11年、13年に発行した『宮古のことば』上・下に続いて出版した宮古弁の研究書だ。内容は事柄や事例での記述ではなく氏が長年かかって採種し意味づけした宮古弁を50音別に羅列しており、宮古弁辞典としての活用に特化している。聞いたことがあるが意味がわからない宮古弁や知らない宮古弁をア~ンまでの項目で探し簡潔に意味を知るうえで非常に使いやすく的確だ。加えて使われている文字も大きく読みやすいので子供から大人まで宮古弁に触れ堪能できる一冊となっている。サイズはB5版777ページ(上下合わせて)となっている。ちなみにタイトルの「おくら」とは「お蔵」のことで宮古の生活の「カマリ/匂い」がぎっしり詰まった方言の蔵という意味。

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