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2012/09 宮古カレーライス事始め

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 今や日本中のレストランから食堂の定番メニューであり、お手軽に家庭でも作れる人気メニューとして定着したカレーは明治期に英国からコロッケなどと同様に伝来した洋食というカテゴリに入る料理だ。カレーはインド料理だろっ!と文句もあろうが当然ながら当時イギリスの植民地だったインドの料理がイギリスに入りそれが日本に入ったものだろう。おそらく伝来最初のカレーは単体で器に盛られこれにパンや野菜などをつけて食べていたと思われる。これを誰かがご飯に直接かけ、今のカレーライス、あるいはライスカレーと呼ばれる料理が誕生したのだと思われる。とは言え、ご当地、宮古にはいつカレーが入ってきて、最初にカレーを出した飲食店はどこであったろうか?三陸定期汽船が就航していた鍬ヶ崎のレストランであろうか?はたまた女給さんがお酒のお供をするカフェーであったろうか?今となっては明確な検証はできないが、今月は探れる範囲で宮古のカレーを掘り起こしてみよう。

 ある古老によると昭和6年頃、黒田町あたりにあった『エーワン』という名のカフェーでカレーを出していたかも知れないという情報を得た。この店では店主が仙台の飲食店で覚えてきたというレシピでカレーを出していた。この時代、カレーは「オゴツォー/大変なご馳走」で珍しい食べ物だった。そんな中、カフェー・エーワンのカレーはジャガイモ、ニンジンなどを同じ大きさのサイの目切りで煮込み、ルーは店独自で仕込んだ固形型のものだったという。店では注文に応じてオリジナルの固形ルーを削って溶かしルーを作っていた。このことから現在の固形型ルーを使ってカレーを作る方法は、本職のカレー料理の基本の中にすでにあったようだ。

 戦後になり高度成長期にもカレーは人気だった。そんな昭和30年代宮古駅前の県北バス営業所には食堂が併設されていて結構な人気だった。営業所があったのは現在の岩手銀行駅前支店がある場所でバス利用客の待合所となっていた。真向かいには引揚者マーケットがありそこにも食堂はあったがそれらは支那そば中心でカレーはなかったようだ。待合所に併設された食堂の屋号や詳細は不明だがこの店のカレーには生玉子が乗っているのが特徴だったという。生玉子はカレールーの熱で半熟となりそれを崩しながらカレーに混ぜて食べるのがこの時代の人気スタイルだったという。

 昭和50年代から60年代、個人的ではあるが宮古で一番「ウンメー/美味しい」カレーを「カセル/食べさせる」店は大通りにあった『みやまん食堂』だったのではないか?と思う。『みやまん食堂』は末広町から「マチコウ/通称名・街中の公楽会館(パチンコ)」方面に入り大通りに突き当たった附近にあり、その昔、宮古の「ワゲーモン/若者」が踊りに集まった『ワーク』(後のカンタベリーハウス)という生演奏の店があった一階がみやまん食堂だった。「みやまん」という屋号が人名なのか?宮古+満腹のような組み合わせなのか?どんな意味だったのかは今となっては不明だが、ラーメンや定食もある大衆食堂のスタイルにあって1500円の上カツライスとカレーは明らかに大衆食堂の域を超えた洋食スタイルだった。特にカレーは適度な辛さに酸味、甘みがあり通常のカレーのように黄色ではなくビーフベースのこげ茶色のルーが特徴だった。そんな隠れた名店であったが昭和が終わる頃、おしまれつつもひっそりとのれんを下ろした。

 『みやまん食堂』がこげ茶色の洋食系のカレーなら逆に、真っ黄色でチープな家のカレーや給食のカレーを思わせる割に、不思議とまた食べたくなる独特のカレーを出していたのが知る人ぞ知る『浮島食堂』のカレーだ。このカレーの特徴は高度成長期に家族で食べた豚こま切れとタマネギのカレーを彷彿させ、食べる人を少年時代へとタイムスリップさせる郷愁のカレーだ。カレーとともに出される「サズ/スプーン」はお冷やコップ(大関ワンカップの容器ではあったが)の中に入っておりこれも昭和を感じる演出だった。しかしこの『浮島食堂』も今回の東日本大震災で大きく被災し解体となった。

 カレーの辛さやベースとなる「ニグ/お肉」の選択、野菜の処理や隠し味に使う食材も作り手によって様々だし、食べる側も様々な好みがあるだろう。そんな好みの中でかなりのウエイトを占めるのがカレーの粘度だ。カレーの旨みはルーの味もさることながら、いかに飯粒に絡んで旨みを増すかが重要だ。お皿に半月型にご飯をよそって空いた半月分のスペースにカレーを盛りつける定番スタイルなら粘度もさほど問題にならないが、お皿に均等にご飯をよそってその上にカレーをかけるスタイルの古典的な盛り方をすると粘度の低いルーは肉や野菜を残してご飯に「スモッテ/浸透して」しまいカレー味の雑炊のようになってしまいおいしさも見た目も半減する。腹に「ヘーレバ/入れば」皆「オンナス/同じ」とは言うけれど、やはりカレーはよそったご飯の上に止まっていなければならないのだ。ちなみにご飯に染み込んでしまうようなカレーのことを宮古では「チャーチャーカレー/水っぽい粘度の低いカレーの意」と呼ぶ。文字通り「チャーチャー」とは水が流れる擬音を意味しており、ひと頃注目を浴びた札幌のスープカレーなどが「チャーチャーカレー」と言えよう。ちなみに宮古弁では「チャーチャーズー」「チャーチャーッテル」はカレーだけでなく水っぽいという意味で広く使われる。

 進化し今やレトルト食品の王道となったカレーはご当地グルメとしてお土産の定番ともなった。レトルトカレー、食堂のカレー、レストランのカレー、キャンプのカレー、そして一番安心するお家のカレー。一番美味しかったのはいつの時代のどのカレーであったろうか?誰だってカレーにまつわる思い出は語り尽くせない。カレー…それはまさに人生を語る食文化だ。

懐かしい宮古風俗辞典

きへーこ

気持ち悪い人、エッチな人、不潔な人。あるいは見た目が気色悪い虫や幼虫など。

「キヘー」とは「気配」でありその人のもっている雰囲気、無意識に身体から発散する「気」のようなものをさす。この気の中にあからさまな下心やいやらしさが伝わるような人のことを「キヘーコ」と呼ぶ。直訳すれば「気持ち悪い人」のことで、特に女性から見た、スケベな男性に対して使われることが多い。いやらしいという意味で使われる「エッチ」という言葉がなかった古い時代は宮古の女学生の間では「キヘーコ」という表現がその代用として大いに使われていたという。現代風な言葉に当てはめるなら、イジメ言葉として敬遠される「キモイ」が同等の意味であろう。「キモイ」は「気持ち悪い」を短縮した形容詞的言葉で「キヘーコ」同様の変遷をもつ言葉だ。また、構造上というか宿命的に「キヘーガワリー/気持ち悪い」代表とされるゲジゲジやムカデなどの多足類も「キヘーコ」とされる。男はいつの時代も下心を隠して女性に嫌われないよう努力してきた。しかし、その努力もたった一度の些細なセクハラでゲジゲジ以下の「キヘーコ」に転落する。恐るべしは婦女子の評価基準である。

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