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2012/08 昔のアルバムをめくって

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 先日、実家でちょっと「キテル/ボケがきている意」老母が言うには「ニゲー/二階」を片づけていたら昔のアルバムが「デハッテ/出て」きたという。開いてみたらどうやら僕のだったらしく「ナゲル/捨てる」のもなんだから「イラーンデーバ/必要なら」とっとと持って行けと赤い表紙の粘着台紙に透明フィルムのアルバムを渡された。「ソンダラバ/じゃぁ」とアルバムをめくってみると、僕が中学三年頃から高校三年ぐらいまでの4年間ほどの間に撮影された写真の中からどうでもいいものをスクラップ的に貼ったものだった。実際に大切な思い出や記録を貼ったアルバムは自宅の物置に封印されていて、実家を出て30年近くも「オグスマ/奥の隅」に置き忘れているようなアルバムには公開されたら恥ずかしい写真や人生の分岐点を象徴する重要な写真は貼っていない。しかしながら、当時、写真は記録媒体の王者でありカメラで記録するというのは少年たちの憧れだった。当然ながら写真は高価な貴重品でアルバムの写真は誰かに撮ってもらい「ヤギマース/焼き増し」してもらったもの、僕が家にあったペトリというメーカーの小型カメラを無断で持ち出して学校で友人や女の子を撮ったものであった。しかし、それらの写真はどれもが見るに堪えない構図とピントで、今の仕事をしているのが「ショースグ/恥ずかしく」なるようだ。いっそ「フテナゲベーガ/捨ててしまおうか」と一瞬思ったが破棄するのはいつでも「デギベー/できるだろう」と思いとどまり再度じっくりと眺めた。

 アルバムの写真の6割はモノクロ写真が占めており撮った季節も場所も定かではない。中には今となっては名前すら出てこない男や女の子の写真もあった。そんな写真の中に若くして亡くなった同級生が写っていたり、しかも5人で撮った写真の中の3人がすでに他界していたりする写真があったりして、つくづく歳月の重みを感じてしまうのだった。人の記憶って普段は封印されているのに一枚の写真で折りたたまれた過去が芋づる式に展開するらしい。今月はそんな一枚の写真から高校時代の夏の休日を「ケゲダステ/思い出して」みよう。

 昭和50年・夏。僕は宮古商業高校の3年生だった。家は千徳で今はもう亡くなった親父も現役の地方公務員で今の自分より約10歳も年下だ。僕は進学する気はなく、さりとて就職も決まっていない。いっそこのまま自転車で日本一周でもしようかなどと「ヘッツォヌゲ/小心者」のくせに斜に構えて格好をつけていた。

 千徳地区の夏は海から冷たい風が入る沿岸部と違って朝から猛烈に暑い。窓を開けっ放して汗をこらえて寝ていても山田線を通過する列車の音と踏切通過時に鳴らす汽笛の音で定期的に目が覚める。気温は午前9時で32度を超している。エアコンやクーラーなど、一般家庭にはない時代だから、こんな日の暑さしのぎは川での水浴びしかなかった。家から海パンとシャツの出で立ちでバスタオルを首に掛け自転車で近所の友人k宅に行く。「オヨギサイグベッサ/泳ぎに行こうよ」と誘うとkも同じ出で立ちで出てくる。さらに数人の友人を誘いみんなで閉伊川のいつもの河原へ行く。上流部では川で泳ぐことを「ナンガレ/流れ」と呼ぶのだそうだが千徳あたりは閉伊川下流で流れは弱く、僕たちは「ナンガレ」とは呼ばなかった。

 閉伊川の水浴びに必ず持ってゆくもは、タバコとライター、そして洗髪用のシャンプーだ。これを「ハヤラガスタ/流行らせた」のは友人kだ。もう時効だと思うが彼と僕はその昔、深夜あまりの暑さに旧千徳小学校にあった温水プールに忍び込んで泳いだ。その時に彼はシャンプーを持参していた。泡だらけの頭のまま飛び込んでしまえば洗い流す手間がかからないと豪語し大笑いしながら泳いだ。その後、石けんも持参したがこれは身体をこするものがないし、真っ裸ではないため洗った気がしないと不評だった。ちなみに温水プール事件は数日後問題になり小学校のプールを汚した心ない大人の仕業とされ監視体制が強化されたのだった。

 kはとにかく流行もので最先端を行く男で、小学校5年の時にはすでに整髪料をつけて登校していたし、バイトで貯めた金で自分用のステレオ買ったのも友人の中で一番だった。小中高と一緒だった彼に唯一僕が先手を取ったのはギターぐらいだったが、そのテクもセンスもすぐさま追い越された。酒も強く女にもモテた。タバコはずっとセブンスターで発売時からのファンだった。モク切れで僕がハイライトを差し出すと「シテーナコレハ/ひどいなこれは」としかめ面で吸っているものだった。

 川で泳ぎ、ついでに洗髪も終え焚き火にあたっていると腹も減る。そんな時は「スズガッコニ/静かに」自転車を押して近くの畑へ行き芋を掘る。「コゴハ、オラホーノ、イドゴノ、ハダゲダーハズダ/ここは俺の家の従兄弟の畑なはずだ」と口からでまかせでジャガイモを拝借する。掘った芋は自転車のカゴに入れ、ついでに「モロゴス/トウモロコシ」を人数分「モギッテ/もいで」きて焚き火で焼いて食べる。ひとしきり食って一服つけると誰かが「オエ、ナードスルヤ/おい、どうするんだ」と現実的な事を言う。どうするか?とは今どうするかではなく、卒業したらどうするか?という問いである。しかし、高3の夏だというのに朝から川で頭を洗い、芋をかっぱらってタバコを吹かしているような連中にとって、なんとなく焦る気持ちはあってもまともな将来などまったく見えていないのであった。

 kとは卒業後、都内某所で再会し飲んで彼の部屋に泊まった。部屋には得体の知れない御宮があってなんか宗教にはまっている感じだった。その後、彼が帰郷した時に飯を食った。大手レストランチェーン店でチーフをしているという話しだった。それから30年以上会っていない。先日、彼を知る別口の友人から千葉あたりに住んでいてもう2回も自宅を建てたらしい。もちろん独身のまま。という情報を得た。この猛暑の中kもどこかのまちで川を眺めて「オヨギッテェナァ/泳ぎたいな」と思っているだろうか。いつかまた会って飲みたいものだが、過激な宗教家になっていたらちょっと怖いな。

懐かしい宮古風俗辞典

ごせっぱらがやげる

もの凄く悔しくて、腹が立つ状態。

 「ゴセッパラ」の「ゴセ」を後世と解釈すれば、一度死んでこの世から次の世代へ転生してもまだ、悔しさが残るほどに腹を立てている状態と思われる。「後世」は「ゴセ」とも「ゴショウ」とも読む。「後世だからかんにん…」は「現在のあとの時代、すなわち後の世まで謝るから勘弁してくれ」という意味であろう。「ゴセッパラガヤゲル」という表現がまさに、後の世まで怒りに震える状態を言い表しているなら、これは宮古弁の中でも、濁点や訛りなどの要素とは違うかなり高尚な意味が含まれる方言ということになる。時代、時間は絶え間なく前へ進んでいる。今とさっき、昨日と今日、人は皆、後世の上に存在する現代を生きている。仏法の説く転生が事実が幻影かわからないが「ゴセッパラガヤゲル」ほど怒っても時間と共に怒りはいつかおさまるもの。眉間のシワより笑いジワの方が健康にもよいわけで、笑う門には福来たるですな。

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