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2012/06 貰って嬉しい物、困る物

提供:ミヤペディア
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 今年は山菜からも基準値を超える放射性セシウムが検出され「ショーベーデ/商売で」山菜を採っている人には大打撃だ。原発事故は春の楽しみでもある山菜にまで暗い影を落としてしまい今更ながら暴走した原子力の怖さを感じるとともに、人がコントロールできない原子力の平和利用なんて「ホラカダリノ/偽りの」安全神話の上に「コッセーダ/拵えた」単なる実験装置だったのだなと思う。

 さてそんな春の恵み山菜はもらって食べるのが専門で、先日も早速、知り合いから川井地区鬼米内産だという初物の「ストゲ/シドケ・ヤブレガサ」とワラビをもらった。山菜の処理は各家庭で色々あるが、僕の家ではアクの強い山菜は薪ストーブから「アグ/灰」を漉くって鍋に入れて灰汁で煮上げる。「アグ」のアルカリで鮮やかな緑に煮上がったらすぐに冷水であらい水を切りそれからザルに広げて涼しい所で「ホーガス/さまして」あら熱をとる。僕の好みの食べ方はクセが強い「ストゲ」にやはり苦みがおいしいホヤを合わせるパターンだ。ちなみに宮古弁ダジャレで「ホヤニストゲ!/ホヤにしておけ!」という食べ方でちょとは笑えるが、何度もやっていると「イイカゲンニストゲ!/いい加減にしておけ!」になってしまう。

 さて、長年この地方都市宮古に住んでいるとそれなりに人間関係のネットワークみたいなものができて、何だかんだと物をもらったりあげたりする。それは冠婚葬祭に伴う義理の「ツケトドゲ/付け届け」や、毎年一回しか顔を会わせないお盆の供え物みたいな物品の行き来ではなく、お返しや見返りを求めない善意のプレゼントみたいなものだ。春の山菜にはじまりワカメ、ホタテ、などの海産物、夏のアユや野菜、秋のキノコやサケなど友人知人にその道の専門家がいればかなりマニアックな獣の肉まで回ってくる。「ワツカダードモ、オワゲンセ/僅かですが召し上がれ」とか「コンナナーイナガノクイモノガ、クズニアエンスペーガ/こんな田舎臭い食べ物がお口に合うでしょうか」と消極的に差し出される品は、田舎暮らしをしてなければ手に入らないような珍品だったり、まともに買えばかなり高価なものだったりする。そんな珍品やお高い品をもらうとほとんどの宮古人はその嬉しさと申し訳なさを表現して「ツァツァツァ…/これはこれは…」と感嘆符で答える。では宮古に在住する一般大衆としてもらって嬉しい品ベスト3は何だろうか?というとまず第一位が「キンノーグズガアゲンスタ、アツコーミドデンセ/昨日アワビ漁が解禁しました、味を見てください」と渡されるちょっと傷がついた自家消費用の「アワビ」。次いで第二位はやはり解禁で回ってくる「カゼ/ウニ」かその塩辛である自家製の「シオカゼ」。そして第三位は「コドスハアメベーテオガリガワルクテ/今年は雨が多くて成長がよくなくて」と「スンブンス/新聞紙」にくるまれて渡される傘が開いた「マヅダゲ/マツタケ」であろうか。この三品は海辺であり山も多い宮古で暮らす僕たちでさえめったに買えない高価な品だ。では逆に「オワゲンセ/どうぞ」と持ってきた人にはまことに「オマオッサゲネードモ/申し訳ないが」貰って困るベスト3はというと「オツユサイレデオワゲンセ/味噌汁のタネにどうぞ」と持ってくる「ホスパデーゴン/大根の葉を干したもの」、次いですでに野菜売り場でも時期が終わり価格が暴落している巨大で皮が「バッカラカデー/すごく固い」「ユアゴ/ユウガオ」、そして「スモノデオワゲンセ/酢の物でどうぞ」と持ってくる多量の食用菊などであろう。そんな時わざわざ「オーキニ/ありがとう」と笑いながらも「ナーステ、ハッパス?/どうして葉っぱ部分なの?」どうせ「ケンダラ/くれるのなら」「デーゴンゴドケドガン/大根一本でください」と心の中で叫んだりする。

 貰っておいて困るというのもおこがましいが、困る理由は素材はもとよりその量なのである。少子化と核家族化が進み家に3人から多くても4人程度の家族が多い中、夫婦たった2人という家も少なくない時代だ。そんなご時世にいっぱい釣れたからとバケツ一杯の「オゲー/ウグイ」などの「ザッコ/雑魚」、ゴミ用のナイロン袋に入った多量な「ワガメ/わかめ」や「メガブ/わかめの根」などはとても食べきれないから貰った人はまた分配して誰かの家に配り、またそれを貰った家で処理に困るという過剰進呈行為の伝染状態が続いてしまう。また、これとは別に困るのが、最近趣味ではじめたという家庭菜園で収穫したという「スキパ/歯抜け」だらけの「モロゴス/モロコシ」や苦辛くてスが入った「デーゴン/大根」、新しいオーブンを買ったとかで作ったという焦げて苦い焼き菓子や、どっかひとつふたつ何かが足りないような味のケーキなども困る。加えて近年は少ないが多めに作って余ったという「アズギバットウ/あずき味のひもかわうどん」や「ニスメ/煮シメ」などの家庭料理も今では困った回し物だ。

 さて、このような物の行き来に使われる宮古弁の中で最も普通に使われるのが「ケル/あげる」「ケロ/くれろ」「ケンネー/あげない」「イラウ/必要」「イラネー/要らない」であろう。これらは方言というより古語の分野に属する古い日本語が長い時間かかり転訛し独特な宮古弁になったものと考えられる。「あげる」の「あ」を省略消去した変化の「ケル」、「くれろ」の「れ」を省略消去し「く」を「け」に変化させた「ケロ」などは「ケッペード/あげようと」「ケデヤル/あげる・嫁に出す」「ケドガン/ください」などの多彩な変化形態がある。また「いる」は「る」を「ら」に変換し語尾に「う」を追加し「イラウ」また違ったアレンジとなっている。これらの言葉に分量を表す「ペンコ/少し」「コイッペー/多く」などの宮古弁が加味されるとさらに方言色は濃くなり難解で複雑な宮古人にしか判らない暗号のような言葉になる。

 震災後各方面からボランティアや出向があるなかで、被災地でのコミュニケーションを図る上で方言はかなりのネックとなる。外部から三陸沿岸に入った人たちは長年かかって北上高地が遮断した言葉文化の濃厚な古語混じりの方言に遭遇することになり苦労もあるだろう。同時に少なからずとも外部からの人と文化が入ることにより、岩手弁は内陸系の「…ンダナハン/はいそうですね」と「…ンデガス/はいそうです」だけでなく沿岸で使われる方言やイントネーションも注目されることだろう。宮古弁、一気に、メジャーデビューするかも?

懐かしい宮古風俗辞典

びそーたがり

不精な人。身だしなみや身の回りにまったく無頓着で不潔な人。

 最近は世の中が清潔指向で臭いにはものすごく敏感だ。しかし、人は生物として生きている以上は汗もかくし老廃物も出す。当然ながら皆個人個人様々な臭いを発している。体臭は大なり小なり誰にでもあってそれこそ人が動物として進化してきた証しであり重要な個性だったはずだ。しかし現在、臭いはマイナスイメージで無臭が賛美される時代となった。だが、歳をとれば誰だって加齢臭がするし、何日も風呂に入らず暮らせば臭って当然だ。昨年の震災時には断水となったり避難所生活が続き皆多少は臭っていたろうが、そんな臭いの中に暮らしてしまうと鼻も慣れてしまうから人の感覚器官って意外と鈍感に出来てるんだと思った。さて、震災はさておき面倒だからと風呂に入らず、歯も磨かず、ヒゲも剃らず同じ服を着たままの人を宮古弁で「ビソータガリ」と言う。「ビソー」は不精で「タガリ」はそれが日常になっている様を表す。野性味も度が過ぎると目に「スモッテ/しみて」困ります。化粧品でごまかすよりお風呂で洗って清潔にしましょう。

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