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2011/03 ケバレーズ探検にいぐべす

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 小学校五年の一学期に小山田から親父の「ウマレイェー/実家」がある「セントグサ/千徳に」引っ越した僕は、養鶏場からわいた大型の「ヘーキレ/ハエ」がワンワン飛び、「ヨンマニナット/夜になると」すぐ側の木で「ダラスコデェーホ/コノハズク」が不気味に啼くド田舎環境に驚愕した。家の裏は山の斜面になっており蛇がたくさんいて「スマヘビ/シマヘビ」「マムス/マムシ」はもちろん家の中に「ヤマノゲェース/ヤマカガシ」がいることもあった。そんな自然の宝庫とも言える新天地で「マヅバ/市街地」では経験できなかった様々な野遊びや出会いがあった。今月はそんな時代の「ケバレーズ/花原市」の話をしようと思う。

 「ケバレーズ」はJR山田線の千徳駅の次の駅だ。漢字で花原市と書き当初僕はバスの行き先標示を見て「はなはらし行き」と読んでいたし、千徳と「ケバレーズ」の間にある「ネーズ/根市」も「ねし行き」と読んでいた。ちなみに千徳方面のバスの行き先では「神倉(かくら)行き」「蟇目(ひきめ)行き」「長沢六組(ながさわろっくみ)行き」など難解な地名が多く転校当初はバスに乗るのも不安だった。

 昭和45年、花輪小学校牛伏分校が閉校し、学区が花輪から千徳になると川向かいの「ウスウス/牛伏」地区からも生徒たちが汽車通学で千徳小学校へ通っていた。僕が転校してすぐに牛伏分校との統合があったので各学年2クラスしかなかった千徳小学校は転校生で1クラスの定員は大きく増えた。そんな中で最初に友だちになったのが「ケバレーズ」もM君や「ネーズ」のK君だった。M君は野球が得意で体育の時や山口小学校との対抗試合ではいつも「キャッツ/キャッチャー」をやっていた。K君は絵が上手でマンガの主人公などを上手に真似て描いたりしていた。彼らは転校したてで肩身の狭い僕を何かと誘ってくれて僕もすぐに彼らの世界にうち解けることができた。そんなある日「ケバレーズ」のM君が今度の休みに「オラガエーコー、タンケンニ、イグベス/オレの家に来い、探検に行こうぜ」と僕とK君を誘うのであった。聞けばウナギ捕り、洞窟散策、土器ヤジリ探し、水晶採掘など小山田時代に遊んだことのないようなイベントがてんこ盛りで未知の魅力満載であった。早速翌週の日曜日、「ネーズ」のK君を誘ってM君の家がある「ケバレーズ」へ「ズデンコ/自転車」を走らせた。

 最初に案内されたのは閉伊川対岸の「ウスウス」にある採石場跡だった。そこは山の斜面が段々に削られた跡がありその中腹あたりに深さ5メートルほどの横穴があった。M君は最近統合した「ウスウス」のO君やU君らも交えて穴に入った。O君は家から持ってきたという松ヤニの塊を、割った竹棒の先に挟んで火を着け洞窟の道案内をしてくれた。穴はすくに行き止まりとなってすぐに外へ出た。

 次に案内されたのはJR山田線第二門神トンネル付近の崖の中腹だった。登るためには線路を歩いて途中の急登坂を登るのだが、トンネル内を歩いている途中で列車がきて警笛を背にみんなで走った。「センロバダ/線路脇」の急坂を登ると鉱石を切り出したような細長い広場があり崖や散らばった欠片の中に3ミリほどの水晶がびっしり生えたような鉱石があるというのだ。ハンマーなどないから石の破片と破片を「ブツケデ/衝突させ」石を割って手頃な水晶をポケットに入れた。

 次は昼食を調達しようということになり国道沿いを流れる閉伊川に降りた。M君が言うには堰堤付近に大人が仕掛けた置きバリの罠があるからそれに掛かっている魚を無断拝借しようと言うのだ。目印のウキをたぐり寄せるとなんと「ブッテー/太い」ウナギが掛かっていた。これをみんなで押さえて河原の石で絞めてヤナギの枝に通して得物とした。そして川岸に流れ着いたゴミの中から「ブッカゲダ/壊れた」小鍋を拾いまたもやJR線を跨いで山道を登った。途中犬を連れたおじいさんに会ったら「アオズスガイダーガラナ/カモシカがいるからな」と忠告されたが僕は勿論、M君もK君も「アオズス」が何であるか判らなかったようだ。しばらく登って分かれ道を右手にゆくと山の中腹に洞窟が口を開けていた。早速「ウスウス」の採石場で使った松ヤニに点火、それを明かりに洞窟探検となったが途中で松ヤニが燃え尽きてしまい10メートルほどで引き返した。内部は途中から「コッコマッテ/しゃがんで」歩かないと進めないほど狭くコウモリがわんさかいた。散策後腹が減ったので洞窟入口の湧き水を汲んで鍋に入れ火を起こしウナギを湯炊きして食った。食後は洞窟の反対側の斜面にまわり新たな縦穴の洞窟に入ってみた。これらの洞窟は戦中から戦後に釜石製鉄に納めるため鉄鉱石やドロマイト(詳細不明・古老談)という鉱石を掘った穴らしいが、少年たちにとっては格好の探検素材だったのは言うまでもない。  山を下りてからはすっかり疲れていたがM君が「ワガエーノ/家の」畑で拾って集めたというミルク缶に入った土器やヤジリのコレクションを見せられたら、僕らも探したくなり畑へ繰り出した。見れば「アガツヅ/赤土」の畑にある小石のようなものはほとんどが土器片であり、「ケバレーズ」に古い時代から人が暮らしていたことに今更ながら感心するのであった。

 夕方、てんこ盛りだった「ケバレーズ」ツアーを終えて自転車を漕いで家路についた。身体はボロボロ、ズックの中は「ツヅダラケ/土だらけ」であったが畑で拾った小さなヤジリは、僕の宝物として名札のナイロン袋に入れて自慢の品となった。その後「ケバレーズ」は年間に何度も訪れる僕にとってのお気に入りの場所となった。

 現在、車で106号を走り花原市を通過すると少年時代の探検を思い出す。M君もK君も健在でお互いこの街で暮らしているのに今は会うことはない。大人になるってそんなもんだと思いながらも、ハンドルを握りながらあの洞窟にまた行ってみようかなと思ったりするのだった。

懐かしい宮古風俗辞典

とっつげーる

取り違える、間違える、上下、左右などを間違って逆にセットすること。

共通語の「取り違える」をそのまま宮古弁テイストに変化させただけの比較的単純な宮古弁。先頭の「とっ」が「取る」を意味します。似た言葉は多岐にわたり存在しており、どれもが人の手に関係する言葉になっています。たとえば手元から物を落としたり掴み損なった状態の「トッパドス/取り外す(受け取り外す)」、柔道や相撲のように両者が組み合った状態で争う様を言う「トックミアウ/取り組みあう(ケンカ状態)」、近くの人に寄りかかったり手すりなどに掴まる「トッツグ/取り付く(掴まる)」、誰かの持ち物を奪い取る「トッケース/取り返す」、自分の物と相手の物を交換する「トッケーコ/取り替えっこ」などの宮古弁が存在します。  ちなみに「取る」という漢字はなぜか耳へんで、文字構成の意味がよく判りませんが、なんとこの字は昔、戦争で殺した敵兵の耳を切って集め、その数を把握したという古事ににちなんだものとか。支配者は集めた耳の数により報奨金を授けたのでしょう。なにげなく使われる漢字にも深い意味があるんですね。

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