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2010/11 数少ない心霊体験より

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 科学万能の世の中ではあるが時には説明がつかない不思議な出来事があるものだ。それらは錯覚や白昼夢のようなイレギュラーであったり、単なる思い込みだったりするが不思議な出来事は解釈できないまま記憶に残されふとした時に「ゲゲダス/思い出す」ものだ。今月はそんな話をしよう。

 昭和40年代の市営住宅住まいの頃、団地内にはオヤジの同僚が5~6人いた。その中に一人だけ独身のMさんがいた。同僚らは地区の行事がある度に持ち回りで飲み会をしては「カゾグマーリ/家族ぐるみ」で付き合っていた。そんな中でMさんは独身だったこともあり、宴会で集まると子供たちはみんなMさんに遊んでもらっていた。Mさんも酒より子供が好きらしく野球やら相撲やらで楽しく遊んだ。僕もなついていたから家で夕食のオカズを多く作ったときなどをMさんの家に届けるのは僕の役目だった。

 そんなMさんだったが30代に入ってすぐ亡くなってしまった。死因は一酸化炭素中毒だった。酔っぱらって帰宅後、練炭コタツで寝てしまいそのまま帰らぬ人となった。発見されたのは死後三日で、出勤してこないので誰かが鍵を開けて入り冷たくなったMさんを見つけたらしい。実は、僕は発見される前日にMさんの家に行ったのである。夕方オヤジがMさんが無断で欠勤してるから家を見てこいというのでる。Mさんの家はカーテンがひいてあり留守のようだったし、僕は郵便受けから「Mオジチャン、イダー?/Mおじさん、いる?」と声をかけたが返事はなかった。オヤジに報告すると、Mの「ウマレイェー/実家」は宮古じゃないから「ソッツデ/実家で」何かあったのかもなと言っていた。その夜、僕はMさんが出てくる夢を見た。場所は築地の岸壁で白浜丸発着所付近だった。そこで遊んでいたら従兄弟のHが誤って川に転落したのだった。僕は岸壁に「ノダバッテ/腹ばい」になって落ちたHに手を伸ばしたが届かない。その時岸壁を黒いバイクが通りかかった。運転していたのはMさんだった。僕はHが川に落ちたので「タスケデケドガン/助けてくれ」と懇願したがMさんは、何も応えず再びバイクでその場を立ち去ったのであった。夢の中で僕はあれはMさんに似てたけど、きっと違う人だったんだ…。と納得するのだった。

 学校の帰り道友だちと堤防を「アルッテ/歩いて」いたらオヤジがバイクで通りかかり「Mさんが死んだ」と教えてくれた。Mさんの家の二階には布団が敷かれ鼻と口に脱脂綿を詰めたMさんが寝ていた。真っ白なMさんは普通に寝ているようだった。それは僕が初めて見る人の死体だった。

 高校の頃仲間でグループを組んでギターを弾き演奏していた。高校三年の秋、学校の文化祭と喫茶コーナーのステージに出ることになり練習をしようという事になった。ある土曜日、その日の練習場所となった僕の家に友人二人がコーラを「タンネーデ/持参で」やってきた。その日は夕方に集まって「ヨンマ/夜中」に練習し、深夜になったら「ミヤゴサ/街に」出てラーメンでも「クウベッサ/食べようぜ」という事になっていた。その日オヤジは泊まりで家にはおふくろしかいないから今夜ギターの練習で友だちがくることを伝えた。練習はいつも通りやったがすぐ飽きて雑談をしていると僕の部屋の前の廊下でガサゴソと音がする。「ダレガイダーゾ/誰かいるぞ」、「ウルセーッテ、クンデネーガ/怒鳴り込んでくるんじゃないのか」と友人らは言う。見れば廊下の「アガス/明かり」がこちらに漏れてきてガラス越しにカーテンも揺れている。どうやら昼間外に干した漬け物用の「デーゴン/大根」を「スンブン/新聞紙」の上に並べているらしい。なにもこんな時にやらくても…。と僕はおふくろの嫌がらせなのだと思った。それでも練習を再開させ一通り終えたらもう11時を過ぎていた。廊下のガサゴソもいつの間にか音がしない。土曜だから泊まっていけと友人に勧めたが、練習中に聞こえた嫌がらせのような音が気になるらしく帰るという。結局その夜は深夜の徘徊もラーメンもなしで解散となった。

 翌朝、何も友だちがきている時に「デーゴン」片付けなくても「ヨガベーゼー/よいだろうよ」とおふくろに文句を言った。そしたらなんと昨夜は音楽の練習だと聞いていたから、いつもより早く床に入って8時にはもう寝ていたというのだ。だが、確かに昨夜、誰かが廊下で何かやっていたし、廊下の蛍光灯も点いていた。何より音だけじゃなくカーテンだって揺れていたのだ。

 翌日の夕方に「シラセ/通知」が届いた。祖母の弟の「オンツァン/伯父さん」が病院で亡くなったのだ。「シラセ」に記載された死亡時刻は土曜日の午後22時だった。夜露を避けるため無造作に取り込んだ「デーゴン」が「イダマスクテ/痛ましく」で「オンツァン」が片付けてくれたんのではないか?とおふくろが言った。

 数年前、ある神社の「イスポドゲ/石碑」を調べに行った。小山の上にある平凡な里の神社だ。碑文をメモって写真を撮り、帰りしな100段ほどの石段を下りながらふと右手を見たら、神社の下に墓碑群があった。どれ、ついでだ見ていくか…と右下のビニールハウスを迂回して行ってみた。墓碑群の周りはきれいに掃除されていて一枚の落ち葉もなかった。墓碑は8基ほどあり取りあえず戒名と年号を読んでみると、江戸末期の文化文政期のものでとりわけ珍しくもなかった。

 その夜、妙な状態で目が覚めたが、「テンゾー/天井」を向いたまま身体がピクリとも動かない。いつの間にか薄暗く明かりが点り、家の猫が盛んに啼いている。これはもしかして金縛り?と思った瞬間、寝ている僕の周りを誰かが回っている気配がした。しかも自転車に乗ってペダルを逆に回しカラカラ回しベアリングのツメの音がする。そして次第に僕の周りを回りながらその輪が小さくなってくる。もう布団のすぐ近くを回っている状態だ、こんなに小回りするなんて曲乗りじゃないか…。と思った瞬間、金縛りが解けた。部屋は「マックラスマ/真っ暗」で猫もいない。僕はひどい寝汗でパジャマを取り替えた。再び布団に入ると何事もなかったように睡魔が押し寄せる。昼間の墓の障りかな?と思いながら無事に朝を迎えた。  仕事柄石碑やお墓に接する機会は多いがこのような体験はこの時だけだった。

懐かしい宮古風俗辞典

あどきよめ

葬式を出した家で死亡から一週間目にその地区の神社の神官、僧侶、またはイタコを招き家を清めること。

葬儀を出して平常の暮らしに戻ることを「イミアゲ/忌み明け」という。文字通り「忌み」の日々が終わり「明ける」という意味になる。最近は寺で葬儀を行ってそのままの席で祭壇を作り直して、初七日の法要もやってしまう略式が主流のため、葬儀一式が終わり納骨すれば初七日までの「トーバ/卒塔婆」を墓に置いてきてその足で家に戻り、葬儀の祭壇を「ダンクズス/段崩し」して親族で供え物を分けそのまま刺身などの生ものを食べることにより葬儀関係は一切の行事を終え「イミアゲ」とする。しかしながら、死者の魂は49日間家の周りを彷徨いなかなかあの世へ旅立たないとも言われ、寺で略式の初七日をやっても実際の七日目に「スカンサマ/神官」や「イダコサン/巫女・この場合は神子」を家に呼んで祝詞や祭文を唱えてもらい家を清める祭事を行う家もまだある。「イダコサン」は祭文を唱え居間を中心に四方に塩を撒いたりして家に取り憑いた霊を払い清める。また、家の四方の柱にそれぞれの方角を司る仏尊の名を書いた短冊を貼ることもある。これら風習は地区や時代によって様々に変化しているようだ。

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