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2010/03 雪原に隠されたトラップ・ズキタメ

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 今年の冬は例年になく久々に「サンブガッタ/寒かった」。雪など降ると屋根から「タルヒ/つらら・垂氷」がぶら下がり何十年も昔の厳しい冬を思い出してしまった。あの頃は暖房器具も小型の反射式石油ストーブ程度だったから、とっくりセーターに「ドンブグ/綿入れ半纏」などを着込んでコタツに入り、かじかんだ手をこすりながらヘボ頭で受験勉強をしたものだ。あの頃の冷え込みは近年のヤワな冬から見れば尋常ではない寒さで、台所に汲み置きしておいた「ヤガン/やかん」の水が凍ったりした。そんな寒さに震えていると、区界あたりはこんなもんじゃないぞ、あの辺は布団の「エリフ/襟布・顔に近い部分に縫い付けた布」が凍ったり、「ソーユ/しょう油」に「スガ/シガ・氷」が張るんだぞと脅かされたものだ。今は宮古市となってしまった区界地区だが、県内でも指折りの厳寒地なわけで、今後はこの宮古市でも海ばかりでなく極寒体験ツアーができてしまうとは嬉しいやら悲しいやら。

 極寒と言えば、30代の頃、極寒を満喫しようと2月の早池峰山麓タイマグラキャンプ場でキャンプをやった。15名ほどの好き者が集まってやっとの思いで火を着けた焚き火に鍋を乗せ雪を溶かした水で豚汁を作り暖の足しにした。その時は午後7時で手に持っていた紙コップのビールがサラサラと凍り、9時にはビールは飲めなくなった。その後日本酒やバーボンを飲んだが誰も酔わない。10時に雪かきをしてテントを設営したが実際にテントに寝たのは冬山訓練をかねて参加していた2名のみ。残りは全員ロッヂに逃げ込み石油温風ヒーターで至極の天国を味わい、体温上昇とともにぶり返したアルコールで悪酔いした。深夜、あまりの不快感で水が欲しくなり凍った薬師川へ向かって歩いたが1メートルを越す積雪で辿り着かず、胃液を吐きながら雪を食った。ああ、もしかしたらこのまま…と思ったが翌朝なんとか復帰、タイマグラを後にして寒さを甘く見て、しかも石油ストーブの誘惑に負けた自分が馬鹿野郎だったと悟った。

 さて、内陸に較べれば沿岸部の宮古は温かいとされるが、昔の冬は寒さは勿論、結構な量の雪も降った。寒さで氷が張れば田んぼや沼、閉伊川の淀みで「スペリッコ/スケート遊び」ができたし、雪が降れば坂道をボブスレーのように滑る「ソーリッコ/ソリ遊び」もできた。また、雪が積もった斜面で「カゴヤ/駕籠屋」に頼んで「コッツェーデ/作って」もらったり、アニキのお手製だったりする「タゲスキー/竹スキー」で遊んだ。スケートはこの季節になると「エギメー/駅前」の金物屋の軒先で売られる「ナガクヅ/ゴム長靴」に「ユッキッテ/結んで・装着して」滑るものが主流だったし、竹の専門家である職人が造ったとされる「タゲスキー」でさえ割った竹の先端を「ワツカペンコ/少し」だけ「オモッサゲニ/申しわけなく」曲げたものや、笹竹を針金で連結させた程度だったから、70年代に札幌で開催された冬のオリンピックでテレビで放映される迫力のスピードスケートやスキー回転競技を見て「タマゲダ/びっくりした」ものだ。そんな思い出とともに寒いけれどそれなりに楽しいあの頃の冬の野外遊びだが、そんな楽しさの中にも落とし穴があった。それは雪一面の畑のどこかに隠された「ズキタメ/じき溜め・肥溜め」なのであった。

 30センチほどの積雪の後、真っ白い雪原のどこかに隠された「ズキタメ」は晩秋の落ち葉で表面が保護色されたものより積雪により起伏や境がぼかされるため被弾する可能性が高い。加えて人は早く目的地へ着きたい→見た目距離的に短い→「ツカマーリ/近回り」の心理と、いつもの道が不確定だが何とかなるだろうという安易な判断で、畦を歩いたり畑を横切ったりするのであった。また、遊び集団の先頭が畑を横切ったので惰性でその後に続き運悪くはまるというのもあった。そして白い雪原に汚れた飛沫が強烈なコントラストで飛び散るのだった。夏の夜、盆踊り櫓の明かりに誘われて真っ暗な畑を横切って「ズキタメ」に落ちるというのもあるが、夏なら水も豊富だから汚れた足も洗いやすいが冬だと足を洗うのも一苦労だ。まさに雪道では急がば回れ、後回れの諺通りなのである。

 ちなみに昭和40年代~50年代の農村部には「ズキタメ」はごく普通に存在していた。人の糞尿を溜めておいてそれを穀物や野菜に撒いて肥料にする農法は縄文の昔からある自然有機農法だ。今でこそ人糞を使った農業は衰退したがついこの前まではどこでもやっていた。ま、有機農法と言っても、今の人糞は化学調味料まみれの食物と、病院からもらった多量の薬が残留しているだろうから、かえって野菜に悪いかも知れない。かの「裏ノ畑ニオリマス」で有名な岩手農学校の宮澤賢治大先生も、平均的なひとつの家庭から産出する人糞の量でどのぐらいの耕作面積の肥料となるかを緻密に計算しその重要性を主張している。「ズキタメ」は土に穴を掘った簡単なものからセメントで「キッツ/枠」を作った大がかりなものまであった。しかしながらそれらにはほとんど屋根がなかったため溜めた人糞の上に雨水が溜まった。その水分は冬には凍りその上に雪が積もり次第に地雷原と変化してゆくのだった。人糞を溜めた「ズキタメ」は子供たちにとって石投げの格好の標的となった。汚い物をいじってより汚くするのは子供の心理でもあった。だから冬になって「ズキタメ」の雨水が凍ると遠くから石を投げて氷を割った。しぶきが飛び散る様を見て「ヤバツーヤバツー/汚い汚い」と喜ぶのであった。

 それにしても「ズキタメ」や学校の便所が凍るのはちょっと不思議だった。戦後、シベリアへ抑留された人たちの手記を見るとロシアの冬の便所は定期的に氷を砕きながら用を足したとある。タイマグラの極寒で尻尾を巻いた僕だが、世界には小便が凍る超極寒も存在するという。もう春がそこまできているのにそんな寒さを話のタネに経験してみたいような気もする。

懐かしい宮古風俗辞典

ほぞーでねぇ

まともではない。正常時、通常時の能力が発揮できる状態ではない。不調を知っているから尻込みする状態。

 若い頃の健康体から較べると体力、持久力も日々劣ってゆきます。そして悲しいことですがそれにも増して、日常生活においての「ヒツァカブ/膝」「コス/腰」の痛み、「マナグ/眼」の視力低下は物事に対する意欲を半減させてしまいます。しかも、まさか自分が…と己を疑ってしまう「スタラガネー/締まっていない」なさけない下半身の蛇口。こんなことじゃこれからまだ長いであろう老後の暮らしへの自信もゆらぎます。そんな痛んだ身体に憂いを感じながら「ああオレの身体もすでに『ホゾーデネー』なぁ」と思うわけです。そこで「ホゾ」とは何か?と古語辞典を調べてみるとなんと「臍」の古語なのです。「ホゾを固む」で決心を意味します。したがってあくまでも仮説ですが「ホゾーデネー」は肉体的、精神的に決心ができる状態でない、という意味になるのではないでしょうか。これに対して「ホゾー」を「ホジョー」と変化させ「保常」などと漢字を当ててもそれらしく見えるのですがこれではしっくりきません。何より昔の言葉が刷新されずにずっと残った状態で伝承されてきた宮古弁には古語テイストの言葉が多いのも事実ですから。

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