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2008/09 地域特定時間解釈と宮古時間

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 結婚披露宴や葬式列席ならともかく、ちょっとした会合や寄り合い、飲み会などは、芳名録に名前を書いたり「ツヅムワゲデネーガラ/お祝いや香典を持参しないから」イベントの開催時間ギリギリに会場入りしたい、かと言って参加者全員が着席している会場に頭を掻きながら入るのも目立ちすぎて格好が悪い。まして、早めに会場入りしてロビーなんぞで「ウラカラ/うろうろ」していると、そのイベントや飲み会に「タイスタ/もの凄く」期待して参加したように見られて、これまた格好が悪い。できたらイベント開始5分ぐらい前に会場入りして、知り合いを見つけて軽く「クッツァベッテ/談笑し」集まっている「ヒタヅ/人達・メンバー」を横目で確認しておきたい。そんな時間的配分を考えながら、主催者や待ち人の立場や都合を棚に上げて「ワレノ/自分の」都合による気まぐれでイベント開催時間を遅らせたりする失礼極まりない態度や、いつも約束や時間にルーズでそのような遅刻ばかりする人の時間感覚を総称して「ミヤゴツカン/宮古時間」という。

 「ミヤゴツカン」は文字通り、宮古の時間をさした言葉だが、○○時間という概念は世界標準時間から9時間進めた、日本標準時間(JSTジャパン・スタンダード・タイム)ではなく、宮古の付き合いや交際を含めたコミュニケーションにおいて使用される時間的許容範囲をさしている。本来なら集合しなければならない時間を「定時」として何分の遅れまでを怒らずに許容するか、何分までなら待てるか、というのか「ミヤゴツカン」の正体であろう。これを応用してイベントの開催時間を設定しておいて「ホンダラ、コンヤ、ハヅツコロ、ミヤゴツカンデ/じゃぁ、今夜、8時頃を目処に…」という高度な使い方もあるわけで、まぁ、気の合う仲間との飲み会などならそんな時間設定でも誰も文句は言わない。

 このような地域の冠をつけたその土地独特の時間的許容範囲はどこにでもあって、田老時間、川井時間という例えも存在するから、日本全国どこの町でも○○時間という特殊な時間的許容範囲が存在するのだろう。

 事実、現在のように携帯電話などを含み誰もが時計を持ち歩き、いつでも今現在の時間を知ることができるようになったのは、ほんのつい「コネーダ/この前」なわけで、戦後、腕時計などを付けるようになったとは言え、ほとんどの人が時計とは無縁だった。そんな時代だから、待ち合わせや集合時間に遅れる「ミヤゴツカン」に代表されるような時間的許容範囲もかなりな部分で許されていたのだろう。

 さて「ミヤゴツカン」で最も困るのは旅先などでの自由行動の集合時間だ。添乗員や引率者は次の目的地へ手際よく移動するためそれこそ「ミヤゴツカン」まで考慮して集合時間を決めているというのに「キテーデ/やはり」誰かがペースを乱す。当初は「ヤッテダー/またやってやがる」とか「アレヤガドーハ、イッツモダーモンナ/あいつらは毎回これだ」と舌打ちして「ビンボーユスリ/貧乏揺すり」しながら待っているが、もしかしたら「マヨーマッテ/迷子になって」たり、何か緊急の事態が発生したかも…と、不安がよぎったあたりに、「ワリーワリー、カニセー/悪い悪い、堪忍してくれ」と悪びれた風もなく集合の輪に加わる。みんなを30分も待たせたあげく、その理由を聞けばていした用事でもないから「ゴセパラガヤゲル/無性に腹も立つ」。道路だって渋滞するわけだし、その遅れを取り戻すため「モキモキッテ/カッカして」スピードをだせばネズミ捕りにもひっかかる。ほんと、運転する身にもなってほしいものだ。

 話は前後するが「ミヤゴツカン」の心理は、けじめのない自分を相手に許してもらう、ギリギリの許容範囲だが、別の面から見ると会合に合わせていつになく「モヨッタ/装った」自分が「オショースイ/恥ずかしい」場合もある。普段は公私ともに「シャッツ/ポロシャツなど」に「ジャンバーッコ/ジャンパー」を「ヒッカゲデ/羽織って」いる程度の服装で、軽トラでブイブイ言わせているのに、ネクタイを締め背広を着てホテルのロビーなどで開場までの時間を「ヒトリッコデ/一人きりで」つぶすなんて、「ソースガリヤ/恥ずかしがり屋」の宮古人にとって、とても苦痛なのだ。そんな思いをするならば多少遅れて迷惑をかけても、ぎりぎりの時間に会場に入りたい。そんな「へッツォヌゲ/意気地なし」な気持ちが「ミヤゴツカン」を生み、いつのまにか「ミヤゴツカン」こそが優雅な風情になって定着してしまったのであろうか。

 最後に「ミヤゴツカン」の宮古弁的変化は「ジカン」↓「ズカン」↓「ツカン」となっているわけで、「ザジズ…」行から、「ダヂヅ…」行へ訛り、耳触りよく聞かせるため、あえて濁点を外し「ツ」に変化させている。この表現は宮古弁で「二時間」を「ンツカン」と表現するのと同じだ。「マッテ、サンツカン、ミデモラッテ、サンプン…/待って三時間、診てもらって三分」とは少し前の県立病院の初診でしたね。  とかく宮古人は高速道路で車を止めるなら売店の真ん前に。そのくせ葬式に列席すれば最前列は「ショースクテ」後ろに座り、レストランが満席で空き席待ちになるとさっさと店を出て、小山田橋が混むからと、わざわざ遠回りして花輪橋を渡る…。そして会合にはギリギリに顔を出す、そんな人種らしい。

懐かしい宮古風俗辞典

【あずもそっけもねー】
共通語的には「味も素っ気もない」美味しくないし愛想もない。味気なくまったく美味しくない様。

 共通語で言う「素っ気ない返事」の「素っ気ない」は、「愛想がない」「誠意がない」「投げやりな…」のような意味だ。すなわち「素っ気」とは「素振り(そぶり)」であり「素っ気がない」とは「こちらの熱意に対して極めてリアクションのない」状態と受け取れる。しかし、あまり美味しくない食べ物に接した時に頻繁に使われる宮古弁の「アズモ、ソッケモ、ネー」ははたして、共通語の「素っ気」をそのまま使って訳していいものだろうか。宮古弁の「ソッケ」はもしかしたら「スオッケ/塩っ気」が変化短縮し、偶然にも共通語の「ソッケ」と同音になったとは考えられないだろうか? 宮古人のほとんどは、あまり美味しくない時「味も素っ気(愛想)もないようだぞ」という意味で「アズモ、ソッケモ、ネー」を使っているようには思えない。やはり「味もしないし塩気もない」という含みで「ソッケ」を使っているような気がする。しかし、どの辞典や資料を読んでも「ソッケ」を「素っ気」の他に「塩っ気」とも解釈するという本はない。これは宮古弁だけの特殊表現なのか、方言の新説なのか、まったくのマユツバか。判断は読者の判断におまかせします。 

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