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2008/07 なむあむだんぶつ、なむあみだぁ

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 平泉の世界遺産指定促進運動に関する報道においてよく耳にするのが、奥州・藤原氏の「浄土思想」という言葉だ。これはおそらく藤原清衡をはじめ藤原氏代々が奥州平泉の地にはるか西方浄土につながる仏教の理想郷を作った、あるいは作ろうとしたということなのだろう。奥州藤原氏の祖である藤原清衡は、前九年の役で奥州の俘囚・安倍氏とともに源頼義率いる朝廷軍と戦い捕らえられ斬首された藤原経清の子だ。7歳の時に父・経清とともに処刑されてもしかたない身の上だったが、母親(安倍頼時の娘で経清の妻)が前九年の役で功績を上げた清原氏の嫡男・武貞の元へ再婚したため連れ子として清原家に入り母共々命は救われる。その数年後、清原氏は主従関係のもつれから内紛が勃発。清原家総帥の急死により跡目相続で後三年の役に発展、清原氏血族の家衡は連れ子として入った清衡と争い敗北。清衡は清原氏の奥州管轄権をそのまま継承し奥州を治めることになる。

 清衡は天治1年(1124)69歳で金色堂造流、同3年(1126)完成した中尊寺落慶供養の願文で「古来この国では官軍と蝦夷が戦い多くの人が死んだ。この地は都から遠く離れた蛮地なれど千人の僧が唱える声はきっと天に達するであろう(略)」と読んだと言う。戦役の上に築かれたつかの間の平和であったが、幼い頃から戦いに翻弄された晩年の清衡が安穏とした平和を願っていたのは事実であったろう。しかし、金色の黄金文化は仏国の再現ではなくそれに連なる、鉄、馬とともに源氏の標的となったのは言うまでもない。

 仏教では人の死後、輪廻転生で進む道として地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天、という六道があるとし、その上に阿弥陀如来の住む西方十億万土の彼方の地「浄土」があると説く。しかし、このような方便は庶民レベルの仏教思想であり、仏教がある程度成熟してから説かれたものだ。だが、奥州藤原氏の浄土思想は葬式や死後の世界を踏まえた庶民レベルの「極楽浄土思想」ではなく、豊富な産金による経済力に支えられた仏教思想を下地にした現実の「浄土」の建設であり、正しい法則にのっとった仏国としての奥州の独立であったのかも知れない。

 さて、私たち庶民は絢爛豪華な仏国の建築より、死後無事に極楽なり地獄なりに到達する方に感心がある。一説によると人は死ぬと、虹色の彩雲に乗って光臨する阿弥陀様に導かれあの世へ続く死出の山を越え七日目に三途の川を渡るのだという。三途の川には橋が架かっているが橋を渡れるのは生前に善行を積んだ人だけ。ほとんどの人は川を歩いて渡る。川幅も深さも流れの強さもその人の生前の行いによって変化し、悪行ばかり犯した人は深く広い激流の川に翻弄されて渡ることになる。川を渡りきった所には死者の衣服を剥ぎ取る奪(脱)衣婆(だつえばばぁ)がいて死者は丸裸にされる。剥ぎ取った衣を奪衣婆が「衣領樹(えりょうっじゅ)」という木の枝に掛けると枝がたわみ、その具合がその人の罪の重さになる。首まで浸かり三途の川を渡れば着物はずぶ濡れだから枝は大きくたわみ、濡れが少ないほど着物は軽く枝はたわまない。因果応報。地獄へ堕ちる人の運命は死出の旅の最初から決められていると言う訳だ。 今月はそんな死者を浄土に誘うという阿弥陀仏のお題目がある石碑を巡ってみた。最初の石碑は長沢から折壁~根井沢~津軽石方面へ抜ける通称・根井沢街道の旧・長沢橋の袂の石碑群の中にある。この石碑群には大正期に折壁青年有志によって建てられた「折髪松記念碑」があり、見覚えがある人も多いはずだ。碑には中央上部に「…無阿弥陀佛」「庚申供養」右に施主□□、左に□□六月廿八日とある。石碑は細長く上部は欠損しており、年代部分は読みとれない。次の石碑は津軽石駒形神社入り口の鳥居下にあるもので、中央に「南無阿弥陀仏」「有無縁万霊塔」右に安政二(1855)□二月二日、左に為二人、酉松立之とある。碑は両側から馬頭観音や牛馬供養塔にはさまれ目立たないが、江戸末期に酉松という人が誰かの追善供養のために建てたものだ。次の石碑は重茂里地区の墓地入り口にあるもので、阿弥陀仏単体で文字が刻まれているがその文字は漢字ではなくカタカナで「ナミアムダ仏」と刻まれている。恐らくこれは漢字を読めない人でも祈れるようにしたもので年代等は無いが明治初期頃のものだろう。最後の石碑は千徳善勝寺山門脇にあるもので、中央に「当川大小水神」左に山崎是心とあり、上部に「南無…弥陀」とある。石碑はかなり風化しており読みとれない文字もあるが恐らく石碑の意味は南無阿弥陀仏当川大小水神であろう。

 浄土と阿弥陀信仰は虫送りなどの呪文で唱えられたりして民間信仰に溶け込んでいたが戦後ぐんと廃れた。それでも身近なところではお盆に「西」の「木」と書く「栗」の枝を仏壇に飾るのも西方浄土と阿弥陀信仰の流れとして今でも残されている。

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