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2008/01 某薬局に設置されていた「高度宮古弁記入所」より

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 今年の冬は例年になく灯油が高騰しており配達してもらって支払う段になるとその金額に「プタマゲル/たいそうびっくりする」。だからといって「ハイタヅチン/配達分」を「ヨズムベート/節約しようと」思ってセルフのスタンドで買って石油缶を「ネゴグルマ/運搬用一輪車」に乗せて帰ってくるほどの体力はない。こうなるとウォームビズじゃないが「モモヒギヘーデ/股引はいて」「ウワッパリ/上着」を一枚多く着込んで、天気がいい日は「ヒナダボイ/日向に沿って移動」しながら春を待つしかない。さてそんな景気のよろしくない一年の始めとなったけれど、宮古弁は今年も快調。昨年同様、積極的にイベントにも参加して宮古弁普及のために頑張りたいと思う。さて、前置きはそれぐらいにして今月は先月の続きで、スタッフに宮古弁愛好家が揃った某薬局に設置されていた「高度宮古弁記入所」から抜粋した宮古弁を解説してゆくぞ。

ワーツカ
 少ないという分量表現。宮古弁の分量表現はかなり細分化されていて「ワーツカ/僅か」の他に「ペーンコ」「チョコット」「チョペンコ」「チョチョペーンコ」などまぎらわしい。食事の際に一膳目を平らげたのにオカズが余っていると「オギューズ/給仕」さんがお代わりの催促をする。そこで「ソンダラバ、ワーツカ/じゃあ少し」と茶碗を差し出すのが宮古人の奥ゆかしさだ。この他に「柔らかい」を表現する宮古弁も多種多様で「ヤーケー」にはじまり「ヤッケー」「ヤーコイ」「ヤワケー」などがありどれも微妙に感触の差があり個人差の感覚で使い分けられている。

ナニス
 「ナニス?/何ですか」は会話中でかなりの使用頻度がある。使用目的は相手に対して「何ですか?」「何でしょうか?」「何かご用ですか?」という暫定的疑問符として使われる。これがもう少し機嫌が悪く、また相手に対して悪意がある場合は「ナニスタッテ/何したというんだ」と変化し、もっと悪化すると「ナンダーズーノンヤァ/何だってんだよ」になる。

ヒズラレル
 これは虐められることを意味する。「ヒズル」でからかったりすることを意味する。これに似たものに「イズル」がある。これも虐めることを意味し「イジ(ヂ)ル」が変化したものだろう。これが変化して徹底的に虐めるという「イズリコグル」になる。余談だが姑が嫁に対して意地悪をして精神的に追い込むのを「イビル」と言うがこちらは共通語。もっとも今は姑が「イビ」られる時代だ。

トッパドス
 これは「トル」と「パドス」に分解して考える。「パドス」は外すという意味になるからふたつ合わせると「取り外す」になる。これが手から外れる、すなわち誤って手から落とすという表現につながる。食後に食器を片づけようと「オボンコ/お盆」を持ってきたはいいが乗せた茶碗のバランスが悪く「タンネーダ/持ち上げた」と思ったら「トッパドス」てしまう。何事も急がば回れ「トッパドス」ぐらいなら「セッコギスネーデ/手抜きをしないで」2回にわけて運びましょう。。

ウダセガゲ
 あまり耳にすることがない難解な宮古弁だ。訳は「問い合わせる」「相手に言わせる」という意味らしい。30年もこの仕事をしているけれど、まだまだ未発見な宮古弁ってあるんだなぁと思うと同時に、自分がまだまだひよっ子ちゃんであることを思い知らされる。

ムギフムギ
 人にはそれぞれ個性があるように何事にも「ムギフムギ/向き不向き」があるものです。この言葉は共通語の組み合わせであり、言葉の発生は耳触りを重視した語呂合わせです。似た言葉に「イヅダリカズダリ/時無しに」「イッツェーカッツェー/期待の割に不甲斐ない」「ウンヌンカンヌン/あれこれ文句を言う」などがあります。

キセェコ
 またしても難解かつ、宮古らしい含みがある宮古弁です。意味は「気だてがいい」ということらしいです。「アソゴノクスリヤノ、テンインサンハ、キセーコダーモンネ/あそこの薬局の店員さんは気だてがいいでよね」という風に使うらしい。

ニエーニズギモスネー
 またまた難解。似合いもしないし好きにもなれないという意味か。

サガサゴンボー
 ゴボウを掘るのは大変な仕事。地中深くまで根があるし途中で「オッカグド/折ると」商品価値が下がるため大事に大事に掘り起こします。このように「ゴンボーホリ」という仕事は骨が折れて泣かされます。泣いても泣いてもゴボウの根っこはまだ深いわけです。これが逆になるほどの大惨事が「サガサゴンボー」です。今風に言えば「逆ギレ」状態。

ヒッコグル
 乱暴に引っ張るという意味。このグループには「オッツビル/乱暴に押しつぶす」「ノッカガル/無造作に乗りかかる」「クッパサマル/無理に挟まる」などがあってバリエーションも変化活用も豊富です。

懐かしい宮古風俗辞典

【どっとはれぇ】
民話や昔話の最後に、語り部がこれでおしまいの意味を込めて言う決まり文句。「どっとわれぇ」とも言う

 岩手の観光に「タイスタ/ずいぶん」貢献したという昨年前半に放送されたNHK朝の連続ドラマ「どんと晴れ」。本当に貢献したのかどうかは疑問が残るが、どんとはれというタイトルは岩手の語り部たちが使う方言の「ドットハレェ」をもじった造語だ。耳で聞けば「どんとはれ」とも聞こえかねないけれど、正確に「どんと」ではなく「ドット」、「はれ」ではなく「ハレェ」だ。そんなささいな違いどうでもいいじゃんと言われそうだが、これが方言にとってものすごく重要な部分であり、変換された部分に言葉の主体部分があるとしたら、意味は全然違うものになる。だから「どんとはれ」の「はれ」がお天気の「晴れ」と解釈されたらもうダメだ。語り部たちが使うこの言葉は、うわさ話や怪談奇談の中にある言霊の呪いを、うち消す呪い(まじない)なのである。従って「ドットハレェ」は「どっと祓え」あるいは民俗学で言う非日常を表す「ハレ」だ。もちろん話のオチに対して観客に笑いを強要する「どっと笑え」などではない。物語の中には恨みや妬み不幸や死が語られるものも多くそれらは聞く者の精神に「穢れ」を生じる。話を聞くことにより穢れは伝染するのである。それを語り部たちは断ち切るため「ドットハレェ」と目に見えない何かを断ち切ったのであろう。

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