Miyape ban 01.jpg

2007/10 宮古弁での痛さ表現とは

提供:ミヤペディア
移動: 案内, 検索

 ちょっとした弾みで足の小指を「トハンド/建具など」にぶつけるとか、荷物を「タンネーデ/持って」手の指を挟んでしまったりとか、野原でトゲのある草を「チョーステ/触って」しまったりすると大概の宮古人は「イデー/痛い」と言って顔をしかめる。この「イデー」という現象を自分も含めた誰かに知らせるために発する言葉は痛さの度合いによって「イデッ/あっ痛っ」という軽度の痛さから「イッデェー/痛てぇ」という中級度の痛さ、そして「イッデェェーッ/痛いーっ」という痛みを生じた原因に対しての不服を上乗せした表現まで様々ある。加えて種類は言葉と同様に「ツラツケェ/顔の表情」や患部を振ったり、さすったりする仕草も加わり重要度とニュース性が伝わると考えていいだろう。

 痛さの段階表現というのは人によってまちまちだけれど、その体験した痛さを第三者に伝える場合は往々にして「ミゴドニイデー/見事に痛い」とか「タイスタイデー/たいした痛い」または、表現する言葉が見つからないという「ナードモナンネーグレーイデー/どうにもならないくらい痛い」などと表現する。「ミゴドニイデー」というのはあっぱれなほどに痛いというもので、単なる痛さではない激痛を伝える。「タイスタイデー」は未経験者は想像もつかないほどの激痛というイメージだ。そして「ナードモナンネーグレーイデー」は痛さを我慢したり回避することはまったく不可能なぐらいの激痛という感じだ。この他に「メッツルガデルグレーイデー/思わず涙が流れるぐらい痛い」などという表現のバリエーションもあるが、そんな中で宮古弁の痛さの最上級とも言える表現がある。それはなんと「マグレルグレーイデー」というものだ。この場合痛さが発生した状態で「マグレダー」「マグレルー」「マグレンガヤー」という風に語尾に「イデー」という直接的な表現を使わなくても相手に通じる。宮古弁での「マグレル」は「眩れる(まぎれる)」という古語的表現から発生しており、「気を失う」とか「めまいがする」という意味の含みで使われる。従って「マギレルグレーイデー」は気を失うほど痛い、あるいは痛さによってめまいが(意識喪失)するほどの激痛という意味になる。なるほどこれは最高に痛そうでちょっとぐらい手を「ブツケダ/ぶっつけた」程度の痛さではないような気がする。通常「マグレル」は「人混みに紛れる」のように同化して見えなくなるとか、偶然を意味する「まぐれ」、気心が変化する「気まぐれ」のような意味づかいで使用されるが、宮古弁での「マグレル」は古語テイストが強く特殊な表現でもある。

 痛いと言えば30歳以上の成人男性のほとんどが経験していると思われる「ギックラ/ぎっくり腰」がある。これは準備体操もなく不用意な体勢でことのほか「オボデー/重い」ものを「タナギアゲダリ/持ち上げたり」すると発生する。「ギックラ」になるとまず「カガマッタリ/しゃがんだり」「ノビダリ/背伸びしたり」が困難になる。腰は「月」偏に「要(かなめ)」と書くぐらいだから、人間の行うほとんどの動作に影響しその度に腰周辺に激痛が走る。そんな日常動作で何より辛いのはトイレの用便だ。トイレが洋式でウォシュレットなど付いていれば「ナンボーアデーモアル/お金で買えないぐらい助かる」が、和式の通常便所では「コッコマッテ/しゃがんで」あのスタイルをとるのも難儀する。この他に洗顔、入浴、起床など普段なんでもないことに並々ならぬ激痛と苦労が立ちはだかる。「ギックラ」を含め椎間板ヘルニアなどの慢性の腰痛など、腰に関係した不調を宮古弁で「コスヤミ/腰病み」と言う。宮古弁的表現だと「オラー、コスヤミー、ヤツケッターデバ/私は腰痛なんですよ」というような表現になる。「ヤミ」「ヤム」は「病み」「病む」でお腹が痛い時は「ハラヤミ/腹痛」、頭が痛いときは「アダマヤミ/頭痛」、歯が痛いときは「ムスパヤミ/歯痛」となる。また腰をはじめ筋肉や関節が長時間にわたる「エンツケー/いずい、具合がよろしくない」姿勢により疲労している場合「~ガ、カネル/くたびれる」を使う。腰ならば「コスガカネル/腰がくたびれる」になる。これは宮古弁の「マツカネル/待ちくたびれる」と同等の意味で何かを代用する「兼ねる」ではなく「くたびれる」という意味で使われる。

 「ブツケダリ」「オッツビッタリ/押し潰したり」「フングラゲースタリ/くじいたり」と色々と痛い原因はあるけれど「ヤゲド/やけど」もかなり痛い。人間の身体はある程度の温度までは「熱い」と判断できるけれど、あまりにも高温になると熱いを通りこして「痛さ」となって感じる。天ぷらの油がはねたり、熱い鍋に誤って素手で触れたりと「デードゴ/台所」やこれからの季節に活躍するストーブなどには「ヤゲド」のきっかけがいっぱいある。「ヤゲド」をすると患部は「ミズブグレ/水疱」となる。このぶよぶよに触ってみると「ヒーラコイ/ひりひりする」。しばらく放置しておくと「ミズブグレ」は自然に「ブッツァゲデ/破けて」患部は「ズヤメーデ/湿っぽくなって」くる。そして「カサピタ/かさ」が発生し後にその下に新しい皮膚ができてやっと完治する。また熱による炎症の他に「ウルス/ウルシ」などの草かぶれも皮膚の炎症を起こすことから「ヤゲ」と呼ばれる。ちなみに草かぶれを発生する植物も「ヤゲ」とか「ヤゲノクサ」と呼ばれる。

 痛みのの中にはその場所が場所だけに人には言えない痛みもある。その代表的なものが痔であろう。痔は「病いだれ」の中に「寺」と書くことから、その病気は寺まで、すなわち死ぬまで持ってゆく病気という意味らしい。とは言え、それは医療技術が低い昔のことで現在は専門医による外科手術でほとんど完治する。痔はその症状により様々な種類があるけれど宮古弁だと「ズ(づ)」あるいは「ズケッツ/痔けつ」と呼ばれる。代表的なものが「ケツポラ/肛門」の粘膜にできる「イボズ/いぼ痔」であり、俗に手術して「トッパラッテモ/取り払っても」対角線方向に再発するという。これを時計方向で「2時方角」の腫瘍を手術すれば数年後は「8時方角」へ再発し、これを治しても次に「4時」そして対角の「10時」へと腫瘍が発生するのだという。このような話を聞かされると「寺まで持ってゆく…」という意味もまんざらウソではないような気もする。

懐かしい宮古風俗辞典

【のぞごってみる】

 覗いてみる。単に覗くのではなく相手方にわからないように、こちらが身を隠して秘密裏に相手を観察するという表現。

 近年になって宮古弁も各方面から研究されさまざまな法則やパターンが解明されているけれど、数ある宮古弁パターンに当てはまらない単独変化をもつ宮古弁もかなりの数がある。そんな中のひとつに今回の「ノゾゴル」「ノゾゴッテミル」がある。「ノゾゴル」は単に「覗く」という行為だが、それに「ル」を加えた変化で進行形のような装飾をつけて「ノゾクル」とし、これを「ノゾゴル」に変化させている。これをまたさらに進行形のようにすれば「ノゾゴッテ」となり完了進行形のような表現にすれば「ノゾゴッテミダッケーバ/覗いて見たならば」とか「ノゾゴッテダッケーバ/覗いていたらば」のように変化して使われる。

 覗くという行為は本来隠されているものを覗き見るという下心が底辺にある場合と、近くにきたら寄ってみてください(覗いてみてください)という親近感として使われるものと二種類がある。宮古弁だと後者は「ノゾットデンセ/覗いて(寄って)みてください」となる。逆に「ノゾゴル」はやはり覗く方に下心があり、しかも相手方にこちらの存在を悟られないように情報を収集するというような含みがある。

表示
個人用ツール