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2007/07 蛇にまつわる思い出

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 僕が小学生でまだ小山田のあけぼの団地住まいだった頃のことだ。友だち数人で小山田の鎮守の森「オヤグッサマ/御薬師様」に遊びに行った。今となってはその目的が何だったのか忘れてしまったが、とかくあの頃はどっか遊びに行こうという話になると「エントヅヤマ/ラサの煙突山」か閉伊川か「オヤグッサマ」だったのである。きっとその時も境内で二手に分かれてのチャンバラごっこでもしに行ったのだろう。

 「オヤグッサマ」は鳥居を潜ると「コンクリー/コンクリート」の短い階段があって、そこからだらだらと土の坂道があって中腹から西側に向かって境内へ直登する心臓破りの階段がある。この階段は「コンクリー」で真ん中に鉄パイプで「コッツェーダ/拵えた」手すりがあった。僕たちはこの手すりを跨いで上から滑って遊んだりもした。さて、その日は、7、8人の人数で僕はいちばん「スッケン/後ろ、最後方」を歩いていた。すると先頭の数人が「えびだー」という悲鳴を上げて戻ってくると僕らを蹴散らして逃げていった。僕たちは「何だ何だ?」と首を傾けた。するとまた次の先頭集団が「うわぁーえびたー」と悲鳴をあげて逃げていった。「スッケン」を歩いていた僕ら数人はこれはきっと何かあったんだ!と察知し事実を確かめるべく現場付近へ急いだ。すると「オヤグッサマ」に直登する例の階段の一番下の段のに1メートルはあろうかというアオダイショウがいたのだった。先頭を歩いていた奴らはこれを見て「へび(蛇)だー」と叫んだらしいが僕には何故か「えび(海老)だー」と聞こえたのだった。先頭と次の先頭の5、6人が逃げてしまって残された僕らも取りあえず「へびだー」と「サガンデ/叫んで」「オヤグッサン」を降りた。

 蛇に遭遇して逃げた一行だったがさすがに男の子集団だ。本当は「ヘツツォヌゲ/弱虫」のくせに今度はみんなで蛇を見に行こうということになった。全員が一塊りなら怖くないというわけだ。僕たちはその辺から「ボーキ/棒木」を拾って武装すると再度「オヤグッサマ」の直登階段を目指した。しかしそこにはすでに蛇の姿はなく、残されていたのはたった今脱いだばかりの蛇の抜け殻がふわふわと風になびいているだけだった。田舎の自然児を自負していた僕たちだったが蛇の抜け殻を見たのはその時が初めてで僕たちはそれを手に取りリアルな鱗模様についさっき肉眼で確認したアオダイショウを思い浮かべるだけだった。

 宮古弁で蛇は「ヘェービ」と言う。宮古弁では二文字で表現される動物の間に「ー(伸ばし)」を入れる場合が若干あって「ヘェービ」の他に「トォービ/鳶」、「ヒィーロ/蛭」などがある。これはこれら動物の特殊性を相手に伝える時に、より強調されるよう工夫したものと思われる(私論の域ですあしからず)。宮古地方で確認できる蛇の種類はまず前段で紹介した大型の深緑色の蛇「アオダイショウ」、暗い黄色に焦げ茶のたて縞模様がある「スマヘビ/シマヘビ」、大きさの割に頭が大く小型ながら猛毒がある「マムス/マムシ」、足が?早く褐色に朱色の斑点が毒々しい「ヤマノゲェース/ヤマカカシ」などが一般的だ。俗に頭が尖った蛇は「サンカグヘビ」などと言われ「ドクヘビ」とされる。しかしながら蛇の頭の形状のみでは毒の有無は不確定だ。ちなみに昔は無毒とされていた「ヤマノゲェース」も立派な「ドグヘビ」であることが今は常識となっている。

 手足がなく全身が「コゲラ/鱗」に覆われ、無機質な「マナグ/眼」に口からちょろちょろと出す「スッタ/舌」など、蛇の生態は人にとって最も苦手な部類とされるが人の精神の底辺には蛇に対する畏怖心にも似た信仰心もある。なにせ蛇は肉食で畑を荒らすネズミやモグラを好んで駆逐するから見えないところで人の役にも立っているのだ。極端な話だが日本でネズミが媒介する伝染病のペストが流行しなかったのも蛇が里に住める環境が残されていたからだという説もあるぐらいだ。蛇を殺すと「タダラレル/祟られる」などという言い伝えも蛇を大切にしようという裏返しの警告かも知れない。

 さて蛇に関する信仰で最も広く知られるのが「金運」であろう。これは財産を司り信仰すれば財力が増すという弁財天が使役する動物が蛇であることから、蛇が弁財天の化身だとする考え方から発生している。この発想が蛇皮の財布をはじめ各種蛇の縁起物に通じる。また、特殊な蛇の信仰形態に「オミダキサマ」というのがあって、この信仰の御神体は如意宝珠にとぐろを巻いた二匹の蛇で「御蛇(巳)が抱く」というような意味かも知れない。僕が過去に調べた市内神社分布によると津軽石に個人で祀る「オミダキサマ」の祠があるが、現在も信仰されているかどうかは不確定だ。蛇が弁財天に通じるというので蛇年生まれも金運に恵まれているという。しかし実際の蛇年の人に話を聞くと「小銭には困らないが大金には恵まれない」と笑う。

 西洋では蛇が己の「オッペ/尻尾」をくわえた「ウロボロス」などに象徴されるように蛇は永遠に続く再生を象徴する。この蛇の姿は性行為を象徴し子孫繁栄を表すという。男のイチモツはその変化形態こそ亀の頭に似ているため「亀頭」などと呼ばれるが信仰的には蛇の頭であり、精力の象徴でそれが旺盛であればあるほど夫婦円満、子孫繁栄で家が栄えるという図式だ。精力増強のドリンク剤に「赤まむし」があるのもこれで頷ける。

 蛇は「ムガスパナス/昔話」にも登場する。毎夜、娘の寝所に通ってくる「イケメン」の男、どこの誰かもわからないまま日の出の頃には帰ってしまう。そこで娘は男が朝に帰る時、密かに男の着物に糸を結んだ。翌朝、庭にあった糸の端をたぐりながらゆくと大蛇の穴につながっていたという。毎夜通ってくる「イケメン」は蛇の化身だったのである…。というのはよくある話で人と動物の交わりを民俗学的用語で「異種婚姻譚」という。これは蛇に限らず馬と交わる「オシラサマ」の話や鶴と交わる「鶴の恩返し」、天女と交わる「天の羽衣」などもあってこちらもそれなりに奥が深い。

懐かしい宮古風俗辞典

【ぼっぽげ】

 刃物や筆記用具などで、先端の鋭利さが失われた状態。エッヂが丸くなりボケていること。

 昔は絵筆削機などの道具はなく、小学生もナイフで鉛筆を削った。鉛筆を美しく「トンガラガス/尖らす」には「テド/手先の器用さ」が必要だった。鋭利になった鉛筆で字を書くとなんとなく気持ちもすっきりする。しかし、鉛筆の芯は亜鉛だ。ちょっと使えばすぐ「ボッポゲ/先端が丸くなる」になって書き味はすぐに落ちる。また、包丁などを定期的に研がずに使い続けるとやはり刃先が「ボッポゲ」になって切れ味が落ちる。「ボッポゲ」は「ボッポ」という言葉が元になっていて、これは九州地方で言う「ボボ/女性器の俗称」に通じる。関東以北で同等の意味をもつ言葉に「オ○○コ」があり、やはりこの言葉も「丸コ」に通じる。結果的にアソコは丸いのである。もしかしたら日の丸の「丸」も天照大神の…だったりするかもしれない。

 その昔、事実かどうか知らないが九州地方でプロレス興業が行われ「ジャイアント馬場対ボボ・ブラジル」というカードが「ババ(うんこ)対ボボ?」と勘違いされて大笑いしたという笑い話がある。「ボボ」も「ボッポ」も「ボッポゲ」も「丸」なのである。まさに柳田国男の方言論文「蝸牛考」ここにありだ。けれど論文は例題にカタツムリをあげるより「ボボ」の方がもっと面白かったのに。

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