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2007/05 哀愁の便所ばなし

提供:ミヤペディア
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 何だかんだ言っても、誰もが「大」なり「小」なり、「メーニヅ/毎日」少なからずともお世話になるのが「ベンゾ/便所」だ。近年は、宮古も市街地は都会化してクリーンな水洗トイレが主流になり、用が済めばウォシュレットで「ケツポラ/肛門」を洗ってレバーを引けば「んっ、ごぉぉぉぉぉ…」と生まれたばかりの排泄物は水流とともに排水管の中に消えてゆく。

 さて、そんな日常が当たり前となりつつあるがほんのちょっと前は、トイレは汲み取り式が当たり前で、排泄後の後始末もトイレットペーパーなどというハイカラなものはなく、良くて「ガサチリ」、新聞紙、雑誌、日めくり暦などが使われていた。そしてもう少し前の時代になると「キュウギ/木製の便拭きへら」が使われており、蓄積した内容物は近郷近在の農家が「コヤス/肥やし」として薪や野菜など交換に汲みにきていた。

 「キュウギ」は杉などの「コッパ/木っ端」を「ホソコグ/細く」割って作るもので、長さ20センチ、幅3センチ、厚さ0.2センチほどの短冊型に割った板片で、そのエッヂを「ケツポラ」周辺に剃刀のように当てて残骸を拭き取る、いや、掻き取るものだったらしい。この「キュウギ」は「ミセヤ」などに売っているわけではなく、ほとんどがホームメイドでその家の「トーサン」が心を込めて作っていたらしい。使用済みの「キュウギ」は別箱に貯めておいてたまれば畑などで消却した。これより古い時代になると「クソナワ/糞縄」と称して二本の柱に麻縄などを「ダラント/ゆったりと」結んでおいて、排泄後にはその縄を「マデーデ/跨いで」残骸を拭き取るという方式もあったというが、家庭訪問にやってきた教師が「コレハナンデゴセンスペェ/これはなんでしょうか」と「クソナワ」を触ったとかの笑い話は聞くけれど、実際の縄やそれを使っている人を見たことはない。 僕は戦後の昭和33年生まれで、比較的「マヅバ/町場」育ちだったので家の「ベンゾ」に「キュウギ」はなかったが、父方の実家は農家だったので「ベンゾ」は家畜小屋に隣接していて、今思い出してみるとそこには紙などがあった記憶はない。ただその「ベンゾ」は「タレル/排便」とか拭くとか以前に、もの凄い数の「ヘー/ハエ」がいて息も出来なかったことが思い出される。

 宮古では通常、トイレのことは「ベンゾ」と呼ぶ。ちょっと前なら古語テイストの「チョウズバ/手水場」とも呼んだ。今でも年輩の方々は「オモッサゲナゴゼンス、チョーズバ、オガッセンセ/申し訳ありませんトイレを貸してください」などと言って来訪先の家のトイレを借りたりする。ちなみに「セッツン/雪隠」は仏教用語で言うトイレであり、「オデラ/寺」では東側のトイレを「東司(とうじ)」「東浄(とうじょう)」西側なら「西浄(せいじょう)」南側なら「登司(とうす)」と呼び、北側が「雪隠(せっちん)」だ。

 トイレの歴史は以前も何度か書いたが、『つれづれ草』などの古典文学の中に「びんどころ」として出ている。これは「便利な所」という意味で、他の出典では『和名抄』『蜻蛉日記』などにも「くそ拭く所」として出ているらしい。関東以南の民俗習慣では排泄物は川に流すものであり、トイレはそこに建てた小屋なので「カワヤ/厠・川屋」と呼んだ。この「カワヤ」という呼び名が室内用便器「オガワ/御厠・おまる」に転化したという説もある。

 昔は今のようにスイッチ、ポンで足元や手元に「アガス/明かり」がつくわけでなかったから、夜に「ベンゾ」へ行くというのは大変難儀だった。そのため「ワラス/子供」や「トソリ/老人」にとって室内用便器である「オガワ」は必需品で、これを部屋の「スマコ/隅」に置いて寝た記憶がある人は多いと思う。排泄物が入った「オガワ」は翌朝内容物を「ベンゾ」に捨てて「タゲコ/竹」を細く割ったものを丸く束ねた「ササラ/竹ブラシ」でこすって洗い、水を入れておいた。こうしないと木製の「オガワ」は天日で乾燥して「ハッセーデ/収縮して割れて」しまうのであった。

 「オガワ」の歴史はかなり古く、平安時代の宮廷の女性たちは細長い箱を長い裾で隠し、そこへ用を足したらしい。昔は下履きを履いていないとはいえ、十二単のように着物を重ね着している状態ではまともに「コッコマル/しゃがむ」なんてことは不可能に近く、さぞかし苦しい体勢での排泄とそれらが「ハッカガンネーヨーニ/飛沫がかからないよう」にする努力と工夫は涙ぐましいものだったことだろう。

 神話の中にも排泄物が神様になる話がある。これによると「ババ/糞」になれる神様はハニヤスヒコノ神、ハニヤスヒメノ神、「スーコ/小便」の方はミズハノメノ神だという。民間信仰では便所には神様がいると考え、そこを汚したりしてはいけないことになっていて、毎年年越しには「トスナ/年縄」を捧げ便所の神様も丁重に拝む。

 神聖な聖域でもある「ベンゾ」だが、薄暗い便器の穴から見える排泄物の塊はなにやら不気味であり、父や母の実家に泊まると「ワラス」にとってそこは慣れない恐怖空間でもある。そんな「ベンゾ」には昔から定番の怪談が語られてきた。その内容のほとんどは夜に用を足していると「ベンツボ/便曹」の中から手が伸びてきて「ケッツ/お尻」を触るというものだ。「オッカナガル/怖がる」子どもたちに対して得意げになって大人達は昔「ベンゾ」に落ちて死んだ人の霊が「クロデ/黒手」というお化けになったと説明したりする。また、地獄には「糞尿地獄」というものがあって悪事を重ね地獄に堕ちると糞壺の中でもがき苦しむことになるとも脅かされた。

 僕が小学校に入る前の頃だったろうか、僕を「カデデ/面倒を見て」いてくれた鍬ヶ崎のおばあさんの家の「ベンゾ」が怖いので一人では「ヤンター/いやだ」とダダをこねたところ、「ホンダラ、ソドデセー/ならば外でしろ」というので僕は外で用を足した。するとどこからともなく犬が近寄ってきて「ケッツ」丸出しで目を見開き全身硬直している僕を後目に、なんと犬は僕の後ろへ回り「タレガゲ/排泄したばかり」のウンコを軽く数回転がしてペロリと食べてしまったのだ。あの時の犬のヒゲと温かい息を「ケッツ」に感じる恐怖はトラウマとして僕の心に今でも染みついている。


懐かしい宮古風俗辞典

【ごすんこーせんすっつけーに、おまぶらってくたせんせ】

 神子にトコロガミ(現在拝んでいる神様)が降りて、未来を予測する「託宣」がはじまったら、それを見計らって「エーヘド」が神子に対して言うかけ声、合いの手。訳は「ご信仰しますので、お守りくださいませ」の意。

 3月号の宮古弁・懐かしい宮古弁風俗辞典のコーナー(当コーナーのことですね)において神子やイタコが行う託宣に対して合いの手を入れる「エーヘド」について紹介した。その中で漢字表記等不明と書いたところ情報が寄せられた。なんと「エーヘド」は漢字で「合返答(あいへんとう)」と書き、正式には「エーヘドトリ/合返答取り」と言うらしいのだ。これは「モーヅツギ/餅つき」のときに杵を持った、つき手に対して、餅を「トンムラゲースタリ/裏返したり」、水で「オスメリ/お湿り」をやったりする人のことを「エートリ/合い取り」と呼ぶのに似ている。  「モーヅモ/餅も」「ウダコ/民謡など」も「イダコサン/この場合は神子さん」も一人で「モツモツド/ムスムスして」やっていては御利益もなくて、やはり参加者全員が一丸となってこそ、いい託宣が出るというものだ。「イダコサン」の後ろで4、5人の「オバーヤン/おばあさん」たちが入れ替わりに「ゴスンコーセンスッツケーニ、オマブラッテクタセンセ」と声をかければ「ソーガ、ソーガ、ホンダラバ/そうかそうか、それならば」と「イダコサン」の身体に乗り移った神様も「キブンコ/気分」が良くて必要以上に託宣してくれるわけだ。

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