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2007/04 光山岳泉荘へ通う宮古の文化人、駒井雅三さん

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 宮古から国道45号線を南下するとブナ峠にさしかかる。何処へ急ぐのか登坂車線に寄せた瞬間に「フットンデ/ぶっ飛ばして」ゆく車を見送り、マイペースで坂を上りきりゆっくり下がり、何個かのカーブを過ぎてバス停から左に折れ少し走ると「オグマッタ/奥に隠れた」山間の鉱泉「光山岳泉荘」がある。この手前には車でインできる(故・盛合要道的表現だなぁ)カップル向けのモーテルがある。このモーテルこそ、名前こそ変わったがその昔お世話になった人も多々いるであろう「モーテル峠」だ。

 「モーテル峠」と言えば僕が千徳小学校に転校してからだから昭和45年頃だったろうか、小学校への通学路にあった製材所の横壁に「二人のオアシス、モーテル峠」と「貸別荘払川」という看板があって僕たちはこれらがどんな施設なのか想像もできなかったが、怪しい雰囲気の大人専用宿泊休憩施設なのだと認識していた。当時は看板の制限などあまりなかったから、今で言うラブホ系の施設も通学路だろうがどこだろうが「ドゴダリニ/どこにでも」堂々と広告看板を掲げていた。そんな看板の店名や宣伝文句は意外と難解で「テーサバ/バス停」などで母親に「かーやん、あれは、なーど読むの/お母さんあの字はなんと読むの」と子供が質問すると「いいの、あんななーずば、よめーなても/いいのよ、あんな字は読めなくたって」というような会話が聞かれたものだ。

 さて、本題の光山岳泉荘について話を進めよう。本誌創始者であり株式会社文化印刷社主だった駒井雅三は晩年身体を壊しお湯通いをしていた。『みやこわが町』が陸中タイムス社から不定期発行されていた当初、入社して間もない僕は社長駒井雅三の運転手として光山岳泉荘へ「オグリムゲー/送り迎え」をやっていた。社長は風呂からあがって原稿を書き、また入っては「ヌクタマリ/温まり」また原稿を書いていた。夕方迎えに行くと車の助手席で「ネプカゲ/うたた寝」したり「こら、よごた、おめー、もりえーさんのまねば、ぜってぇーすんもんでねーがよ/こら横田、お前、盛合さんのような人生だけは真似するんじゃないぞ」といきなり諭すこともあった。しかし、盛合要道氏の文才は雅三氏も認めており、凡人は無茶するものではないという意味だったのだろう。実際、今でも盛合要道という粋人は僕の数少ない師匠的存在なのである。

 駒井雅三が光山岳泉荘に通うのには訳があった。持病の湿疹にここのお湯が効いたこともあるが、なんとこの宿の創始者であり初代経営者だった古館清三という人物と駒井雅三は水産学校(現在の県立宮古水産高校)時代の同級生であり、まさに「ポンユウ/親友」だったらしいのだ。また、古館清三という人物は「ヤマス/鉱山師」であり戦後、当時の大同製鋼宮古工場で精錬のため必要とした珪石鉱脈を「タッソ/田代」で発見している。その頃の駒井雅三は駒井写真研究所という看板を掲げた報道カメラマンであり、古館清三に頼まれては暗箱を「カンヅーデ/担いで」は鉱脈が眠るという色々な山の写真も撮影していたらしい。そんなある日、山田町大沢北西の十二神山の麓で特殊な岩石を発見した古館清三は駒井写真研究所に持ち込んだ。古館清三曰く、なんとその岩石はウランとおぼしき鉱物だから鉱石から出る放射線を撮影してほしいと依頼した。駒井雅三はキューリー夫人がやったように「ミガンバゴ/みかん箱」大の木箱に岩石を入れ、暗室に入ると箱の内側6面に乾板(フィルム)を「ハツケデ/セットして」黒い紙で目張りし、時間を決めて撮影したという。結果は岩石から放射線が放射状に飛び散る様を見事撮影、この写真が当時の毎日新聞宮古支局の特ダネとなって「ウラン鉱?の発見」という見出しで掲載され大ニュースとなったという。

 長崎と広島に原子爆弾が投下された記憶も生々しい頃、原爆製造において最も重要な原料ともなるウランが東北の片田舎で発見されたかも?というニュースはあまりにもセンセーショナルだったらしい。後日アメリカとロシアの投資家から一億円で権利を売ってくれというオファーもあったが「おらぁー、ずぶんで掘る/オレは自分で掘る」と「ヤマス」古館清三は有頂天の極みだったという。しかしながら後日鉱石の分析結果が届き岩石はウランではなくラジウムであり、「ヤマス」古館清三が垣間見た億万長者の夢は消え去ったのである。

 その後、本格的に坑道が掘られ、そこからわき出る水で湯を沸かし光山岳泉荘が誕生することになる。余談だが「ヤマス」の夢はウランからラジウムに変わったが、鉱石を家庭用の「スーフロ/据え風呂」に入れて効果を得る健康器具、岩石を微粉末にして貼り薬や膏薬としたり、鉱石の破片を二級酒に入れて一級酒のような味にする魔法の添加剤にしたりと、あの手この手でラジウムを売り出そうと企画し続けたというからさすがである。

 「山師」を辞典でひくと、これはと目をつけた山を「ニソクサンモン/超格安」で買って鉱脈をみつけてから何百倍にして権利などを売る鉱山師はもちろん、イベントなどの興行師、祭りなどで露店を開いて商売する「テギヤ/的屋・射的屋・香具師」などまで含まれる。宮古弁でも「ヤマスノヨーナヤヅ/山師のような奴」とか「アレハヤマスダッケー/あいつは山師さ」というイメージで会話の中に登場し「本当らしいウソばかり言って人を騙す奴」というような意味で使われるようだ。

 ところで内向的利己主義な金銭執着型人格を宮古弁で「コンゾーカメ/ケチ」と言い、執拗にお金に対して執着するあたりは「ヤマス」に似ているけれど、「コンゾーカメ」は非社交的であり、弁解はおろか自分の利にならないなら話をするのも「タンペテース/言うだけ無駄」と割り切って最低限の人としか接触しない。そんな態度が周囲から「ツッツグヅード/つつくと」手足と頭を甲羅の中に入れてダンマリを決め込む「カメコ/亀」に似ていることから「コンゾーカメ」と言うのかも知れない(あくまでも仮説です)。それに対して「ヤマス」の方は典型的詐欺師の素質が見え隠れしており、獲物となる「ダナサマ/旦那衆」を見つけると楽してお金が儲かるような魅力的弁舌を操る。そしてハマったものなら巧みな話術と眼光鋭い説得力に騙されてあれよあれよと「ゼネ/お金」を吸い上げられるわけだ。ちなみにこのような状態を相手を「ヒッカゲル」または相手に「ヒッカゲラレル」という。これらは江戸時代からある商売の隠語で「便所」に関係している。小便を相手に「ヒッカゲ」ようとして自分の着物に「ヒッカガル」わけで、宮古なら網元が自分の船の水揚げに対して匿名で相場より高い値を入れる、てっきり周りの仲買が反応して値がつり上がると思ったら誰も反応せず、自分の魚を自分でしかも相場より高く買ってしまうというような状態のことだ。商売、何事もバランスの見極めが大切。騙して儲ければいつか騙されて損をするものです。

懐かしい宮古風俗辞典

【やーやーど】

 さっさと。急いで一気に。相手方や他人のことは気にせずマイペースでこなすというような意味もある。

 宮古弁には故意に発音処理を加えたものがある。それらは言葉の濁りや耳障りを軽減させるための濁点取り、物事を面白おかしく伝えるための半濁点化、発音に対する忌みや縁起を嫌った強引変換などが無数にあって、その他にも物の音や動物の鳴き声からそのまま作られたであろう擬音語や感嘆符もある。そんな宮古弁という方言カテゴリーの中にあって、どのジャンルにも属さないであろう特殊かつ難解な言葉もある。それらは使用される場面においてなんら難しいわけではなく、ごく普通の宮古人の会話の中に見え隠れしている。

 「ヤーヤード」も使用頻度的には普通であり、宮古人同士のコミュニケーションならほぼ100%意味が受け入れられるのに、宮古弁圏外には非常に難しい言葉のひとつだ。「ヤーヤード」は「さっさと」と訳され、現実的な時間的進行が影響しており、とにかくものすごく急いでいるため、何らかのルールや法則を知っていながらもすべてを自分流に置き換えてしまうという意味だ。「ヤーヤードクウ」でこっちの都合で待たずに食べる、「ヤーヤードキター(来た)」であちらにお構いなしに帰ってきたというような意味になる。まだ変則的な使用例として「ヤーヤードヤレ」があり、これは周りを気にしないでさっさと済ませろという意味になる。

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