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お飾り

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おめでたい図柄や、信仰している神様の姿を染め抜いた紙の御弊として、古くから伝わっている。毎年暮れには、宮古市魚菜市場に市内のお飾り業者が集まり、お飾り市が開催され師走の風物になっている。 テンプレート:しるしる

目次

年の瀬の風物詩・お飾り

年末に神棚の下に飾る二福神や鶴亀などの縁起のよい図柄が描かれた半間(90センチ)から一間ほどの紙を貼る習わしがある。また、家業や信仰する神仏に合わせた柄を極彩色の顔料で刷った半紙大の紙を貼ることもある。これらは「お飾り」と呼ばれ近年は市内の伸仏具店等で販売されているが、昔はその家の家長が型紙等を使って小刀や鋏で切り抜いたものを使った。
基本的にお飾りは一年間貼り続けていた同じ場所に前年の物に重ねるようにして貼り続けてゆくもので、次第に厚みが増してゆく。ただし、その年に不幸が合った場合は今までの「オガザリ」を全て剥がし新たに貼ることになっており、購入日は大安吉日がよいとされる。
また、近年は少なくなったが12月になると地域限定で「オガザリ」を作っている人が各家を回り注文を取って歩くことがある。

起物満載。神様へのささやかな希望

古くからその地に根ざし今までに数多くの死者を送り出したであろう旧家と呼ばれる家はの神棚は、半間から一間ほどの巨大な神棚を祀る場合が多い。神棚は仏壇と合わせて客間に設えその棚には墨絵に金彩を施した細長いお飾りをぶら下がる。このお飾りの風習は宮古特有の進化を遂げた民間信仰媒体で、中心の朝陽と富士山を背に恵比寿・大黒の二福神、鯛、俵、大福帳、銭袋、珊瑚、株、帆掛船、千両箱と大判小判、両サイドには縁起と寿命の象徴である鶴と亀が描かれた幸福意匠のオンパレードだ。これは神に対して人が願うありったけの幸せであり、ご先祖様にオーダーする幸せメニューのほんの一例を描いたものと考えればわかりやすい。このお飾りは毎年、年の瀬の大安日に貼り替える事になっており、販売する店によって図柄はそれぞれ違っている。また、この他に和紙の半紙一枚物に刷ったお供え餅、おかめ、牛や馬、山の神、イカ釣りなどの意匠のお飾りもあり、これらはその家の生業の安全と繁盛を、そして追加の願いとして神棚の他に作業場などに貼られる。

御歳神様は家を護る先祖霊

御歳神とは一年を通じてその家を厄災から護り繁栄を約束する歳徳神である。その姿は長髪の女神の姿で表され源流は諸説あるが牛頭天王の后の姿とも言われる。しかしながら基本的にその具象はどうでもよく、民間信仰的に見た場合の御歳神の正体はその家で亡くなっていった古い人々であり穢れなき先祖霊である。人が一生を終え死んでゆく、その後残された者は死者の霊を慰め年忌の追善供養を繰り返す。毎年の盂蘭盆会、三回忌、七回忌、十三回忌…とそれを重ねてゆくうちに死という穢れは次第に浄化され最終的にはご先祖様という神格へと昇華し、心霊は神霊となって毎年、正月にその家を護るため御歳神として降臨するのである。従ってまだ神格化していないご先祖様は8月のお盆に拝んで、神格化したご先祖様は正月に拝むわけだ。そしてその席にはその家に関係する家族が集まりご馳走を囲んで酒を飲み、無意識ではあるが神仏の加護と幸せを実感するのである。

古老の思い出重茂村のお飾り

『重茂の黎明』(重茂ヒサ著)によれば、昭和初期の重茂の年末を次のように記している。 12月はじめの大安日には宮古から行商がきて神棚にはるお飾りを売りに来る。2mぐらいの長さの和紙に七福神、宝船、小判など縁起の良い物が描かれている。大漁満作、福徳円満の願いを込め神棚にはる。この時は糊で貼る。画鋲を使っては神様にくぎを打つと言って嫌われます(以下略)交通が難儀だった当時の重茂村には宮古町から行商が赴き新年用の縁起物を販売しいていたようだ。昔から縁起物は大安日に買うもので、その年に不幸があった場合は験を担いで別の行商や店から購入するのが良いとされた。

お飾りに描かれる七福神

辨財天
七福神の中の紅一点で元はインドのヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティー神。仏教に取り入れられ、音楽・弁才・財福・知恵の徳のある天女として信仰される。蛇を使役することから蛇=弁天で、蛇革の財布は金が貯まるという俗信がある。 布袋和尚
唐の末期の明州(現在の中国浙江省寧波市)に実在したといわれる仏教の禅僧。その太っておおらかな風貌が好まれ、手にした袋から財を出し与えてくれる。弥勒菩薩の化身ともいわれている。 手には軍配や盃を持ち笑門来福、夫婦円満、子宝の神として信仰が厚い。 大黒天
インドのヒンドゥー教のシヴァ神の化身マハーカーラ神として、天台宗では厨房を司る仏尊となった。これに風体が似ていたことから日本神話の大国主命尊が習合、家の柱を大黒柱と言うように食物・財福を司る神として民間信仰の神となった。 恵比寿
夷、蛭子とも書き日本神話のイザナミとイザナギの間に生まれた最初の子を祀ったもので基本的には大漁追福の漁業神であったが、時代が下って七福神に取り込まれると商売繁盛や五穀豊穣をもたらす福神となった。唯一日本由来の神である。 寿老人
道教の神で南極星の化身の南極老人。日本の七福神の一人としては白鬚明神とされることもある。巻物を括り付けた杖、団扇や桃などを持ち、鹿を従えた姿が一般的に知られている。団扇は難を払い、桃は長寿のしるしで、鹿もまた長寿の象徴である。 福禄寿
道教の宋の道士天南星、または、道教の神で南極星の化身の南極老人。寿老人と同一神とされることもある。長寿と福禄をもたらす。長い頭、長い顎鬚、大きな耳たぶをもち年齢千歳の仙人だ。 毘沙門天
元はインドのヒンドゥー教のクベーラ神。戦いの神であったが、仏教に取り入れられてから、北東方角と宝塔を守る福徳増進の武神としてしだいに民衆に信仰される。多聞天の別称もあり邪鬼の上に立つ。市内小山田の小山田薬師神社の多聞天と邪鬼は有名。

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